最初の証拠
その日の夜、真央はスマホを握ったまま、しばらく動けなかった。
証拠を残す。
頭では分かっているのに、何から始めればいいのか分からない。
相手は、あの美月だ。
完璧に振る舞って、周りを味方にしている。
中途半端なことをすれば、逆に自分が追い詰められる。
(どうやって……)
考えながら、これまでのやり取りを遡った。
グループLINE。
美月の発言。
タイミング。
全部、違和感はある。
でも、“決定的”なものはない。
「……足りない」
思わず声が漏れた。
このままじゃ、ただの被害妄想で終わる。
そのとき、スマホが震えた。
健太からだった。
『今日は遅くなる』
また、その一文だけ。
画面を見つめながら、ふと昨日の動画を思い出す。
(同じ場所にいるかも)
気づいたときには、指が動いていた。
地図アプリを開く。
駅の近くの店。
昨日の投稿と同じ場所。
営業中の表示。
時間も、ちょうど今。
胸が強く鳴る。
(行く?)
一瞬、迷った。
でも、すぐに答えは出た。
(行くしかない)
立ち上がる。
子どもはもう寝ている。
少しだけ躊躇して、それでも上着を羽織った。
静かに玄関を出る。
夜の空気が冷たい。
足が勝手に早くなる。
駅までの道が、やけに長く感じた。
店の前に着いたとき、心臓の音がうるさかった。
ガラス越しに中を見る。
人が多くて、すぐには分からない。
(どこ……)
少し位置を変える。
その瞬間。
見えた。
奥の席。
笑っている二人。
健太と、美月。
間違えるはずがなかった。
楽しそうに話している。
距離が、近い。
普通じゃない。
頭が真っ白になる。
(やっぱり……)
足が動かない。
その場に立ち尽くす。
何分経ったのか分からない。
ただ、目が離せなかった。
ふと、美月がスマホを手に取った。
何かを確認して、少しだけ笑う。
その仕草が、やけに落ち着いて見えた。
(全部分かってるみたいに)
そのとき、はっとした。
(証拠)
震える手でスマホを取り出す。
カメラを開く。
ピントが合わない。
手が震えている。
深く息を吸う
もう一度、構える。
シャッターを押す。
小さな音。
それだけなのに、世界が変わった気がした。
画面を見る。
はっきり写っている。
二人の姿。
同じテーブル。
同じ時間。
言い逃れできない距離。
もう一枚。
もう一枚。
何度もシャッターを押した。
指の震えが止まらない。
それでも、止めなかった。
これが必要だと分かっているから。
ふと、健太が立ち上がった。
ドアの方に向かう。
心臓が跳ねる。
(まずい)
とっさに体を引いた。
壁の陰に隠れる。
足音が近づく。
呼吸を止める。
数秒後、ドアの開く音。
外に出てくる気配。
そのまま、通り過ぎる。
動けない。
しばらくしてから、そっと顔を出す。
美月はまだ席にいた。
スマホを見ながら、何かを打っている。
その表情は、落ち着いていた。
まるで、何も問題がないかのように。
その瞬間、スマホが震えた。
驚いて画面を見る。
通知。
美月からだった。
『今、どこにいますか?』
息が止まる。
視線をゆっくりと上げる。
ガラス越しに、美月がこちらを見ていた。
目が合う。
にこりと笑う。
逃げられない。
完全に、見られている。
手の中のスマホが、やけに重く感じた。
(バレてる)
そう思った瞬間、全身の血の気が引いた。
それでも。
ポケットの中のスマホには、確かに残っている。
消えない証拠が。
初めて、自分の手で掴んだものが。
もう、戻れない。




