誰も救われない
美月が消えたあと。
その場に残ったのは、健太だけだった。
真央は何も言わない。
健太も動かない。
ただ立っている。
顔色を失ったまま。
遠くで犬が鳴いている。
近所の窓はまだ少し開いていた。
見られている。
聞かれている。
でも、もうどうでもよかった。
数分後。
健太がゆっくり口を開く。
「……ごめん」
かすれた声。
真央は笑いそうになった。
ここまで来て。
全部壊れて。
最後に出るのが、それなんだ。
「何に対して?」
静かに聞く。
健太が詰まる。
「……全部」
曖昧な答え。
最後まで、具体的に言えない。
真央はゆっくり息を吐いた。
「ねえ」
健太を見る。
「美月に、離婚するって言ったの?」
空気が止まる。
健太の目が揺れる。
答えなくても分かる。
でも。
真央は待った。
逃げさせないために。
数秒後。
健太が小さくうなずく。
その瞬間。
何かが完全に終わった。
胸が痛いとか。
苦しいとか。
もう、そういう感覚じゃない。
ただ。
空っぽだった。
「……そっか」
それだけ言う。
健太が慌てて近づこうとする。
「でも、本気じゃ」
「触らないで」
真央が低く言う。
健太の足が止まる。
「もう無理だから」
はっきり言った。
静かに。
でも、一切揺れずに。
健太が崩れるように座り込む。
顔を覆う。
泣いていた。
肩を震わせながら。
でも。
真央は何も感じなかった。
同情も。
怒りも。
全部、使い切っていた。
「……会社にも話いってる」
健太が絞り出すように言う。
真央が目を向ける。
「写真、回ってた」
笑うみたいに息を吐く。
壊れた笑い。
「異動になるかもしれない」
その声で分かった。
もう戻れない。
社会にも広がっている。
家庭だけじゃない。
全部失い始めている。
「そっか」
真央はそれしか言わなかった。
健太が顔を上げる。
目が赤い。
「……どうしたらいい」
前にも聞いた言葉。
でも。
今度は本当に何も残っていない顔だった。
真央はしばらく黙っていた。
そして。
静かに言う。
「自分で考えて」
もう。
支える義務はない。
健太がうつむく。
その姿を見ながら、真央はふと思った。
この人は。
結局、誰も愛してなかったのかもしれない。
自分も。
美月も。
子どもも。
全部。
“自分が寂しくないため”の存在だった。
その結果。
誰も幸せにならなかった。
真央はドアを開ける。
夜風が入ってくる。
「出てって」
静かな声。
健太は動かなかった。
でも。
数秒後。
ゆっくり立ち上がる。
何か言いたそうに口を開く。
けれど。
結局、何も言えなかった。
そのままふらつくように歩いていく。
背中が小さく見えた。
ドアが閉まる。
鍵をかける。
カチッという音が、やけに響く。
静寂。
真央はその場に座り込んだ。
涙が出るわけでもない。
達成感もない。
残ったのは壊れた関係と。
もう戻れない日常だけ。
でも。
それでも。
真央は思う。
「あのまま壊され続けるよりは、よかった」
小さく呟く。
誰も救われない結末だった。
でも。
誰か一人だけが笑う終わりじゃなかった。
そのことだけが。
唯一の救いだった。




