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ママ友に夫も居場所も奪われるまで  作者: 熊猫ぱんだ


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踏み込む

 夜、子どもを寝かしつけたあとも、真央は動かなかった。

 部屋は静かで、時計の音だけがやけに大きく聞こえる。

 健太からは、また同じメッセージが来ていた。


 『遅くなる』


 もう驚きもしない。

 画面を閉じて、ゆっくり息を吐く。


 (今日、行く)


 そう決めていた。

 昨日と同じ店。

 同じ時間。

 確かめるために。


 スマホをポケットに入れる。

 上着を羽織る。

 玄関に立ったとき、一瞬だけ足が止まった。


 怖い。

 でも、それ以上に。


 (逃げたくない)


 ドアを開ける。

 夜の空気が冷たい。

 昨日よりも、足取りは迷っていなかった。


 店の前に着く。

 ガラス越しに中を見る。

 人は多い。

 でも、探すのはもう簡単だった。


 奥の席。

 同じ場所。

 健太と、美月。

 やっぱりいた。

 昨日と同じ距離。

 同じ空気。

 笑っている。


 その光景を見た瞬間、胸の奥が静かに冷えていく。

 もう、驚きはない。

 ただ、確認するだけ。

 

 スマホを取り出す。

 カメラを開く。

 昨日よりも、手は震えていない。


 シャッターを押す。

 一枚。

 もう一枚。

 角度を変えて、さらに撮る。

 はっきり写るように。

 逃げられないように。


 そのとき、ふと気づいた。

 美月の視線。

 まっすぐ、こちらを見ている。

 また目が合う。


 でも、今回は違った。

 笑わない。

 ただ、見ている。

 数秒。

 そのまま、視線を逸らさない。


 (分かってる)


 そう思った瞬間、背筋が冷えた。

 それでも、スマホは下げなかった。

 もう一枚、撮る。

 逃げない。

 その意思を見せるように。


 そのとき、美月がゆっくり立ち上がった。

 健太に何かを言う。

 健太は振り向かない。

 美月だけが、こちらに向かってくる。


 ドアが開く。

 夜の空気が流れ込む。

 足音が近づく。

 逃げるべきか、一瞬迷う。

 

 でも、動かなかった。

 逃げたら、終わる気がした。

 目の前で止まる。


 「こんばんは」


 落ち着いた声。

 いつもと同じ。

 でも、もう違って見える。


 「……こんばんは」


 声が少しだけ固い。

 数秒の沈黙。

 先に口を開いたのは、美月だった。


 「何してるんですか?」


 優しい言い方。

 でも、逃げ道を塞ぐ質問。


 「見てただけ」


 短く答える。

 嘘ではない。


 「そうですか」


 小さくうなずく。

 その目が、スマホに向く。


 「写真、撮りました?」


 心臓が強く打つ。

 隠しても意味がない。

 分かっている顔だった。


 「……撮ったよ」


 はっきり言う。

 逃げない。

 その一言で、空気が変わった。

 ほんの少しだけ。

 でも確実に。

 美月は少しだけ笑った。


 「そうなんですね」


 否定もしない。

 焦りもない。

 ただ受け止めるだけ。

 それが逆に、不気味だった。


 「別にいいですよ」


 続けて、そう言った。

 予想外の言葉。


 「……いいの?」


 思わず聞き返す。


 「はい」


 あっさりとした返事。


 「困ること、何もないので」


 その一言で、背筋が凍る。


 (どういう意味……)


 証拠があるのに。

 逃げられないはずなのに。

 それなのに、この余裕。


 「むしろ」


 美月が一歩だけ近づく。

 距離が詰まる。


 「ちゃんと見た方がいいですよ」


 低い声。

 さっきまでとは違う。


 「全部」


 その言葉が、耳に残る。

 何かを含んでいる。

 でも、意味が分からない。

 理解したくない。


 数秒、見つめ合う。

 先に目を逸らしたのは、真央だった。

 その瞬間、美月は元の笑顔に戻った。


 「じゃあ、また明日」


 何もなかったように言う。

 そのまま店に戻っていく。

 ドアが閉まる。

 音がやけに大きく響いた。


 その場に立ち尽くす。

 心臓の音がうるさい。

 手が震えている。

 でも、さっきとは違う震えだった。

 怖さだけじゃない。


 (今の……)


 余裕。

 確信。

 あの言葉。


 「困ること、何もない」


 頭の中で繰り返される。

 証拠があっても、意味がないみたいな言い方。


 (まだ何かある)


 そう確信した。

 自分が見ているのは、一部だけ。

 全部じゃない。

 だから、あんな顔ができる。


 ゆっくりとスマホを握りしめる。

 写真は増えた。

 でも、それだけじゃ足りない。

 もっと奥まで。

 踏み込まないといけない。


 冷たい夜の空気の中で、はっきりと理解した。

 これは、想像より深い。

 そして、もう後戻りはできない。

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