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005:大切なのは「質や量」よりも結果らしい




「お空の機嫌はまだ戻りそうにないのか?」

「雨雲の感じを見るとまだまだだね。朝の予報ではこんなはずじゃなかったんだけど」


 雨宿りから数十分。空模様とは裏腹に僕は小指の爪ほどの平静を取り戻していた。


「で、どうすればエスタゴルに戻れる。まだ戦闘は続いているかもしれない。同胞はが危険に晒されていると思うと、胸がザワザワするのだ」


 スマホを確認する僕に、女は数分感覚でそう尋ねる。


「交番とか」


 女が一人で交番に『自首』してくれれば、僕が恥を回避できる確率は跳ね上がるだろう。だが彼女が実在する場合、それは危険を伴いすぎる。


 これからどうするのか。この女、あるいは煩わしい錯覚をどう処理するのか。これらの問題を雨が降り止むまでに解決しておきたい。


「コウバンとはどのような行為だ?」

「うーん⋯⋯」


 ここは素直に嘘をついておくべきだっただろうか。交番という概念を端的に伝えるのは難しく、『国に雇われた傭兵が治安維持のために駐留している場所』という近からずも遠くないところに彼女の納得は腰を下ろした。


「正気か? 貴様らはユクフについて何も知らぬのだろう? 私が敵対軍人でないことを証明できるとは思えない。貴様も私を信用しないほどだ。にふぉんの傭兵は『捕虜として一生を終えられるならまだマシだ』くらいの処置を下すだろう」

「いや、知らないからこそだと思うけど。そっちの話を聞く感じでは、魔族は人間と敵対しているんだろ? 知っていたら即捕縛とかなんじゃないの? 僕たちはまだ対話の余地を持てるはずだ。元の場所に戻るための手助けをしてくれる可能性が十分ある」


 警察機関に対しての警戒心を植え付けてしまっただろうか。彼女は顎の下に手を置き、雨音を聞きながら思案を巡らせ始めた。


「⋯⋯ほぅほぅ。妙案を思いついた。今から『交番』へ行くぞ」

「今から? え、今から?」


 女は目尻に皺を寄せてイタズラっぽく笑った。唐突な提案に言葉が詰まった僕は、スマホを握り込んだままただ冷たい風を撫でることしかできなかった。


「私が貴様を負ぶって交番まで走る」

「その格好で街にでるつもりなの? なにより、この国では剣の携帯は違法だ。さすがに⋯⋯」

「心配いらない。脚力には自信がある。体力が尽きぬ限り通行人の目に留まることはない。もし万が一があっても、見ての通り今は土砂降りだ。そもそもの人気が少ないだろう」


 僕の喉に剣を突き立てたときに、彼女のスピードは命の表面から理解していたから、現時点での反論は空白だった。


「それともう一点。貴様が言う『幻覚』にはワープという芸当の覚えもあるのか? 私が貴様を連れて猛スピードで交番まで走ったとしよう。そのときにすまふぉんで時刻を確認するとどうだろうか。貴様は貴様の力ではありえない距離をありえない時間で移動したことが証明される。それすらも『幻覚』と貴様は言うのか? これは私の存在を示す大いなる根拠になるのではないかと思うが」

「まあ、確かにそう⋯⋯ なのか?」


 彼女の言葉の文節から溢れる自信に暈され、真実以上に説得力が膨らんで感じられる。


「忘れ物はないか?」

「ああ、うん⋯⋯」


 柔らかく微笑んだ女が、しなやかに伸びた腕を紳士風に差し出す。

 検証と言葉の咀嚼に気を取られていた僕は曖昧な返事をしてしまった。


「それでは出撃だ。このアクスティアにかかれば、雨の一滴も貴様を射貫くことはできぬだろう」


 次の瞬間、僕の体は宙を舞った。僕の左腕を掴んだ女は、僕の体を軽々と両肩の位置まで持ち上げ、肩車の要領で僕の足首を胸の前に固定した。


「うわぁ。ちょ、ちょっと待って」

「怯えることはない。お皿はよく落として割るが、人間を落としたことは生まれてこの方、一度もない」


 女は重心を下げて地面を蹴ると、電車のように音を立てて加速を始めた。

 周囲の景色が放射状に引き伸ばされたようになり、唐突な加圧を受けた呼吸器は掃除機のような悲鳴を上げる。


「ゲホッ、ゲホッ。あ、あのさ、いきなり移動するのは違うじゃん」

「なに? 忘れ物はないか聞いただろう? そろそろ人里のような人工物が見えてきた。取りに戻るなら今のうちだ」


 前列を埋めていた前髪が風に押しのけられると、視野の六割を覆う深緑の絨毯の上に、灰色のペンライトが顔を出すのが目視できた。


――雨の日とはいえ、街中には車通りの激しい大通りがある。完全に失念していた。


「おお! これは露店車のようなものか? これも魔法ではなく『科学』の力なのか!」

「歩道! 歩道を歩いて!」


 激しく揺れる視界の中でも、道路交通法に抵触していることだけは確定的だった。それどころか、駐車場や屋根すらも踏み抜いて行っている気がする。三半規管から鳴り響くアラームが、僕にそう教えていた。


「――オ道? すまないが、雨音と風音で声が聞き取りにくい。それと、道案内なら必要はないと言っておく。私は探知魔法に明るいからな」

「吐きそう。ヤバイ。探知魔法? もうなんでもいいけど」

「ああ、にふぉんの土は初めて踏むが、交番の位置はにふぉんの民より正確に探知できる。――と思う。貴様は『傭兵たちをどうやって説得すればよいか』策を練っておいてくれ」



 激しいめまいと息苦しさに襲われ、それからの意識はかなり朦朧としていた。


 東に進んだり西に進んだり⋯⋯ 「いつまで経っても彼女から救済の報告を聞くことはなかったこと」それだけは確実に記憶している。


「つ、ついたぞ。ここが交番だろう?」


 足元を横切る黒い大河、兵隊のように周りを囲む森林、スパンコールをあしらった漆黒の天幕。そして、センターで月光を浴びる荒廃したコンクリート造りの建造物。


 息が上がり、激しく上下する女の背中から眺めた景色の内容物の一覧だ。


「――地獄?」

「や、やはりここは交番ではないのか?」


 背中が凍てつくように冷えていたことに気がつく。自信のコーティングは時間経過で溶けてしまったのか、彼女の長い黒髪からはまだ雨が滴っていた。


「魔王はひどいね。こんなところに兵士を住まわせているんだ」


 数秒の沈黙を砕き、やっと飛び出た言葉だった。


「すまない! これは、その⋯⋯ 魔法のないにふぉんでは精度が落ちるから⋯⋯ かもしれない。さらに百回、試行回数を増やす。それでもう一度、最頻値を取ろう」

「探知魔法って絶対じゃないんだ」

「だいたい九割五分は当たる。私の場合は⋯⋯ 一割程度。仮説が正しければもっと下がっている。――でも試行回数を増やしていけば、他のものが扱うそれと同じくらいの精度で正解に近づくから⋯⋯」


 吐き気と寒気がそれぞれ内外から僕のことを容赦なく責め立てていた。

 「もう一度やらせてくれ」とチャンスを乞う彼女をよそに、僕はぼんやりと空を眺め、体調不良と思考を巡らせ続けた。


「――帰ろう。今日は一旦家に帰ろう」


 疲労が僕を楽な姿勢へと傾けた。

 どうでもいい・どうにでもなれ党が矮小政党を吸収し、議会はもう疲労の独裁の魔の手に落ちた。


「家⋯⋯ だな? 貴様の自宅で構わないか? それじゃあ魔法を――」

「いや、いい。スマホで調べる」


『目的地まで徒歩で――』


「――これは!」


 女と僕の瞳に星が写った。





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