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004:蜂は「花の蜜」よりも他人の不幸が好きらしい



 情報交換から数十分、乖離していく感覚器官が恐ろしくなった僕は、近くの木の陰に隠れてスマホを握りしめていた。

 検索をかけてもサジェストに似たような症状は表示されない。共感の言葉を掛けつつも医療機関への受信を淡々と進めるAIが、裂けて裏返りそうな僕の心をさらに煽り立てた。


「おい、それでどうやったら私は帰れるんだ。すまふぉんの中の賢者は何と言っている?」


 痺れを切らしたのか、女が木々の間を縫ってこちらへ歩みを寄せてくる。


「――化け物⋯⋯」


 目に見えているもの、聞こえているもの、触れたもの⋯⋯ これらとの信頼関係がいかに偉大だったのか、僕は砕け散りそうなほど理解させられた。


 狂っているのか。それとも『狂っている』と認識していることそのものが狂っているのか。狂っていることが真実だったとして、幻覚は僕の世界をどこまで蝕んでいるのか。

 世界の体温計が壊れてしまった。


「な、何だと!? 貴様ら人間の方こそ化け物だ。私たちからしたらな」

「――幻覚、なんだろ。早く消えろよ! 化け物が見える才能なんて望んでねぇよ⋯⋯ 二十世紀初頭の画家じゃないんだよ」


 剣を携えていたときとは比べ物にならないくらい、迫りくる女が恐ろしく感じられた。テレビの砂嵐やレトロゲームのエラーに慄いていた幼少期を思い出す。

 未知の侵入を阻むが如く、汗腺は出力を上げて体内の塩分を吸い上げていた。


「いや、おかしい。何で剣が頭に当たっても無傷なんだよ。そもそもがおかしい。そ、そもそもそんなもの持ち歩けないだろ⋯⋯」

「――なっ! 貴様が無傷だったのは、その⋯⋯ アレだが。私は幻覚などではない。どうやったら証明できる? そしてあまり取り乱すな。私にも不安がうつるだろう?」

「そ、それはコッチのセリフだったはずだろ」


 呆れたように溜め息を吐いた女は、震える僕の腕を半ば強引に掴んで、鎧から露出した左胸に僕の掌をそっと当てた。


「どうだ? 鼓動を感じるだろう? ちょっと冷たいかも知れないが、体温も感じるはずだ」


 僕の掌には確かに脈を打つ何かが感じられた。猫が首を摘ままれたのと同じで、人間の本能としての側面ではリラックスのトリガーとなるのだろう。

 しかし、これも錯覚の可能性が高い。ここで疑念を捨ててしまうのは、腹を出して自らの肉を食わせるようなものだ。


「魔王様曰く、『戦地で最後まで捨ててはならぬのは、心臓でも脳髄でもなく精神である』と。私も人のことを言えるような立場ではないが⋯⋯ なぁ、少しはマトモになったか?」

「いや、それは証拠にはならない。騙されるな⋯⋯」

「なに? まだ疑っているのか? もうよい。私にとって貴様などさほど重要ではない。そのすまふぉんを借りるぞ」


 腕を素早く振り払った女は、草上で裸足のピクニックをしたままのスマホをカルタの要領で奪い、拙いままで何やら操作を始めた。


「おい! 勝手にとるなって」

「こんな私でも、命ある限りはその時間をできるだけ魔王様の為に使いたいのだ。一秒でも早く帰還せねばならん。使命があるのだ。少々の強引は許容願いたい」


 上体を起こして両腕でスマホをスティールしにかかったが、騎士を名乗る女のドリブルは機敏であり、その手首に掴みかかることすらできなかった。


「返せよ! 危ないから」

「どうやったら賢者を召喚できるのだ? 指でなぞって意思疎通を図っていたようだったが⋯⋯」


 人差し指が何度も空気の層をなぞった。女は僕の攻撃をひらりと躱しながら、スマホの背面を叩いたり、カメラのレンズを指で押したりしている。


「――どういうことだ! 私の顔が⋯⋯」


 突然、女の動きが止まった。その隙を狙って、僕はひったくり犯顔負けの手つきで彼女からスマホを奪い返した。


「へぇ? おまえ、なにして⋯⋯」


 戦利品の画面に映ったのは、トーク画面に張り付けられた彼女の自撮りと『既読』の二文字だった。


「よりによってササキさんに送ってるじゃんか! おまえ、おまえマジでどうしてくれんだよ!」


 背中の奥がひんやりと震えた。観測開始から最も深く、冷たい恐怖の震源だった。

 

 同じ中学の同級生だったササキさん。最後の会話履歴は二年前。

 ササキさんの誕生日を祝ってあげるという大義名分を揺らして自分すらも催眠にかけ、『デッサンさせてくれませんか?』とメッセージを。

 夏の空より青くて、夕立の雲より鉛色のページである。『忙しい』とかでやんわりと断られてからは、お互いが柔らかい斥力を保っていたと記憶している。


「⋯⋯ササキサン? ササキサンとはにふぉんの敵国か? 私はササキサンに何を仕掛けてしまったのだ?」


 お化け屋敷でジェットコースターに乗っていたのに、父親に悪事がバレたみたいな状態だ。

 錯覚でないのだとしたらもっと分厚い剣路を歩むことになる。錯覚だとしてもメッセージ自体が真実であれば、もうどうするのが正しいだろうか。


『かわいい』

『どしたの?』


 大粒の汗がササキさんからの返信の上に零れて、レンズのように文字が拡大される。

 文字に乗った『現実』は、いくら拒めど僕の目に流れ込んできた。


「『かわいい』? ササキさんにはこいつが見えてるの? というか、こいつは写真に写ってるってこと?」

「何!? ササキサンに私の情報がバレてしまったのか? 撤退すべきか? にふぉんの指揮官は誰なのだ?」


 ササキさんからのメッセージそのものが幻覚で、写真そのものも幻覚である可能性も否定できない。本当は端からメッセージなど送信していない可能性もありえる。

 悪趣味な幻覚を見ているのだと思いたい気持ちが、確実に僕の脳内の議席を占有しつつあった。


「え? 大丈夫。大丈夫大丈夫」

「⋯⋯ダイジョウブ様? それとも安全という意味か?」


 ――過負荷でもう頭が回らない。

 何が何だかわからない気持ちと、ドーパミンを帯びた全能感による質疑応答は、鎬を削る勢いで激しさを増していたが、とりあえず『ごめん。誤送信した』と返信することを折衷案にて議決した。


 そのとき、ぽつぽつと何かが地面を叩く音がした。


「これは⋯⋯ 雨だな。これから日が暮れるというのに、体を冷やすのは得策ではない。ひとまず、もう少し木の多いところに移動しないか?」


 夏の天気は変わりやすい。へとへとな僕の背中に夕立が降りつけた。


「ああ、大丈夫。大丈夫」

「大丈夫? どっちのだ? 雨脚も強くなっているから、早くこの場を離れるぞ!」


 女に手を引かれた僕は、どんくさい中型犬の要領で行き先をリードされながら、女とともに比較的雨の当たらない木の下まで移動した。




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