012:嘘は「誠」よりも素直らしい
「今日も来たのですね」
第一病棟の受付前でおどおどと立ち尽くしていた僕を正すように、オノさんは規律の整った口調でそう声をかけてくる。
オノさんと知り合った翌日の夕方、画塾終わりのそのままの足で、僕は自然と病院を訪れていた。
彼女を交番に預けたあの日から、僕の胸中には不可視の煙が渦巻いている。
ご飯を食べているときも、ベッドで寝転んでいるときも、石膏像と睨み合いをするときも、その煙が肺の内側をチクチクと刺激して、僕の呼吸をことあるごとに薄くしていた。
「――はい。今日も来ちゃいました⋯⋯」
自分でも自分自身の行動の目的の陰影を把握できていないのだろう。オウム返しのような実のない返答が口から零れた。
客観的な僕の立場からすれば、「彼女がどうなろうと知ったことではない」のだ。裏山でのクランクインから換算しても、彼女に関するシーンでの僕は「害を被る側」であったことが多数のように思う。
絵と向き合う僕にとって、彼女の存在は非常に煩わしいものでしかないはずだ。彼女と関われば、時間も精神も恐るべきスピードで削れていく。
裏を返せば、絵に向き合いたくない僕にとって、それは非常に好都合なデコイなのであろう。
きっと、それが煙の正体なのだ。「向いていない」僕の弱さの表れなのだろう。
「今日も接見禁止です」
目の前の愚図な少年がそれ以上何も発言しないことを悟ったのか、オノさんは僕に先んじて牽制の駒を進めた。
「彼女はどんな様子ですか?」
オノさんの動きを察した僕は、一番上にあった疑問を率直にぶつける。
「――良い状態ではありません。精神的消耗が激しいのか、ケアの途中でも塞ぎ込んでしまうような反応が目立ちます」
「⋯⋯それじゃあ捜査の方は?」
やはり、状況も状況だ。心労が多いのは想像がつく。
「ある意味進歩しました。剣と鎧の組成の特殊性が判明しました」
「特殊性⋯⋯ ですか?」
「使用されている金属の配合などから、『世界中のどこを見てもこのような鍛造技術はない』と結論づけられたそうです。『殺人を実行するために、彼女が独力で作ることも到底不可能であろう』ということで、購入・作成の点での殺人予備罪の線がなくなり、真相はミステリーになりました」
顎の下に手を置きながら、オノさんは理路整然と捜査過程の説明を続けた。
金属の特殊性について学術的な部分は理解できなかったが、それより『捜査』の部分が腑に落ちない。
彼女の周辺には不可思議な事象がバラバラ散らばっている。それこそ、深夜アニメで見かけた『異世界』を想起させるような。
その未解明要素が捜査に負荷をかける抵抗として機能しないのか、僕は疑問で溜まらなかった。
「それは彼女にとってプラスになるんですか? 話が拗れるのは⋯⋯って」
「どうですかね⋯⋯ でも彼女に無理を強いて検査や捜査が行われることはありません。警察も病院も社会のための組織ですから」
オノさんとの問答は、一見お互いの真意が絡み合っているように感じるが、やはり漸近的だ。部分的ではあるが微妙に噛み合っていない。
「――オノさん。率直に訊きます。彼女は何者なんですか?」
気管の中で燻っていた煙が、圧力に耐えきれなくなって声帯を揺らした。
オノさんは僕の質問に対して大きな反応は見せず、そのまま沈黙を貫いている。
「あなたは彼女の正体に心当たりがあるのではないですか? いくら看護師という立場だとしても、初めて聞くような捜査内容をそんなに詳しく話せますかね」
「根拠としては薄いかもしれませんが⋯⋯」と僕は小さく保険を添えた。
「それは、私が非常に聡明だからです」
予想外の返答に呆気をとられたが、肺に住む煙は怯まなかった。
「それは、そうかもしれませんが⋯⋯ オノさんの彼女への関わり方は何というか、とっても奇妙です。病院の看護師が身元不明者に興味を持ったとしても、警察の捜査内容まで把握しようとしているのは、やっぱり不自然です」
どれだけ複雑な状況でも、警察は警察、病院は病院のはずだ。いち看護師が噂を伝って収集できる情報量とはとても思えない。
「それは、驚いていたから⋯⋯」
「驚いていた?」
またも絶妙な逸れ方の回答を提示され、会話のボールを拾いにいく時間に歯がゆさを覚える。
オノさんは真剣な面持ちを崩さず、再び口を開いた。
「『オノ』という苗字。これはいわゆる所属を示すような、両親から授かったものではありません。これは私が数十年前、身元不明者として保護されたときに施設からつけられた『仮の名前』です。いわば、識別番号のようなもの」
オノさんはネームプレートを指先でひらひらと揺らしながら、僕を回想の世界へと誘う。
「アクスティア―― 私と同じ状況下の身元不明者が見つかったことに、私は驚きました。それと同時に、あの子の力になりたいと思ったのです。捜査や検査の事情に詳しいのも、そういった実体験による土台があるからです」
病院の受付ロビーの隅っこ。オノさんは微かに目元を緩め、自動販売機の上から部屋を照らす高窓の方を見つめていた。
「オノさんにそういう特別な事情があるのは判りました。でも、それにしたって不自然です。僕に彼女の情報を伝える必要は、あなたにはないはずです。彼女の力になりたいと思う人が、安易に得た情報を漏洩するのはヘンですし、リスクとリターンがあっていないようにも⋯⋯」
大理石風のパターンがあしらわれた床に声が反射するのを察知して、言葉の途中で僕の中の臆病が目覚める。
「――噂好きだからです」
いつの間にかポーカーフェイスのお色直しを終えたオノさんは、視線のレーダーで僕をじっと捉えながら回答した。
「それは、嘘じゃないんですか? いくら噂好きだとしても、オノさんの行動は『彼女を助けたい』とは矛盾したもののように思ってしまいます。第一、ゴシップを楽しむだけなら、わざわざ外部の僕じゃなくても、もっと手軽に⋯⋯」
僕が安い論理をどれだけ編もうと、核心に差し迫るような糸口は検出できない。
オノさんは僕の言葉に沈黙を貫き続けた。僕が怜悧な名探偵であれば、また違っただろうか。
オノさんへの猜疑心は呼気を蓄えて膨れ上がり、ふいごの要領で僕を空回りさせている。
「――何が目的なんですか? 僕を何に利用するつもりなんですか? 無暗に嘘を吐いて、どこまでが本当なんですか?」
彼女の摩訶不思議な病態も、捜査の手順も、オノさんがリスクを犯してまで僕に情報を漏らす理由も、昨日今日の歩みの中には不確定なものが多すぎた。
彼女を取り囲むすべてが、粘性を帯びた謎のシルエットで覆われているみたいで、いつまでもその輪郭線が掴めず、何を信用すべきかも判らない。
興味とか、焦燥感とか、そんなものよりもずっとこの纏わりつく生温い空気が気持ち悪くて、僕は本当に迷い犬になって、見知らぬ都会の見知らぬ交差点に誘い込まれてしまったように感じられた。
「人間は、何かを守るために嘘が上手になるのです。そういうものだと私は思います。もし私の言葉が嘘だと理解するのなら、引き下がるべきです」
至って淡々とした表現で、オノさんはそう言い切った。




