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11/15

011:伝えられぬ気遣いは「伝えた後悔」よりも罪悪感があるらしい




 熱を帯びない警告に、体の筋肉が連動して硬化する。


「ご、ごめんなさい! 第一病棟にいたんですけど、迷ってしまって⋯⋯」

「こんなところまで迷い込んでしまう不慣れな人は、『第一病棟にいた』など言えないでしょう。ここが第二病棟だと、どうして判ったのですか?」


 相貌からして四十代から五十代くらいと思われる女性の看護師さんが、迷い猫の首を掴むような質問を投げかけた。

 反射的に放った温い一撃が簡単にカウンターされてしまった僕の背中には、厚い汗の層が浮かんだ。


「――しばらくは面会禁止ですよ」


 しどろもどろに言い訳を練る僕の言葉を遮るように、看護師さんは簡潔に言い切った。


「え? どういう⋯⋯」

「だから、『面会禁止ですよ』って。捜査が入っているでの」


 おそらく、僕の事情を察して彼女のことを話してくれているのだと思う。事件のことを嗅ぎまわっているのをナースステーションかどこかで見られたのだろうか。それとも、昨日どこかで検査を担当してもらったのか。どちらにせよ、僕に心当たりは無かった。


「アクスティア⋯⋯ 昨日保護された女性のこと。気になっていたのでしょう?」

「ええと、いや⋯⋯」


 看護師さんは女性にしては珍しいくらいに背が高く、そこから放たれる冷徹な物言いは僕の表情を更に強張らせる。


「教えてあげます。私が知っていること。あなたが知りたいのならですが」


 看護師さんは僕の方に数歩近づき、淡々とそう言った。


「え? いいん⋯⋯ ですかね? その、カウンターでも『個人情報』とか言ってましたし」

「私は噂好きですから」


 人通りのない廊下に、看護師さんの声が微かに響く。


 こちらにとっては好都合な話だが、いくら「噂好き」と言えど、情報を無暗に漏洩させていいものなのだろうか。


 倒錯する感情に不安げな顔を浮かべた僕に意を介さず、看護師さんは颯爽と耳打ちを始めた。





 看護師さんの話によると、署に到着してからもアクスティアは『意味不明』な言動を繰り返していたそうだ。意思疎通の上手くいかない相手に突然囲まれたことで、彼女は更に混乱してしまったのかもしれない。

 数時間の聴取と検査を経て、周辺で重大事件の報告がなかったことと、彼女の剣から『殺人』のような危険行為の証拠が検出されなかったことから、警察は『重度の記憶障害の疑い』もしくは『殺人予備罪の疑い』の二点に切り替えて、彼女を取り調べたそうだ。


 彼女の言動に錯乱の色が濃くなってきたことを察した警察は、「これ以上の刺激は危険」と判断し、彼女の生体情報などから彼女の身元を特定しようと試みたらしい。

 しかし、彼女と一致する情報は警察のデータベースには残っておらず、失踪届や捜索願にも彼女と特徴と合致するものは無かったという。それに加えて、彼女の発言した「家族皆殺し」に該当する事件も確認されなかった。彼女の家族や出身地は未だ謎のままだ。


 病院での検査は、一部看護師さん自身も関わったらしい。脳波測定やMRIなどの検査では異常が見つからず、内臓の損傷による記憶障害の線は薄いと判定されたそうだ。

 その一方で、彼女の身体に珍しい特徴があることも判ったらしい。彼女は一般の人に比べて頸椎の数が多く、特殊な「血液型?」の血液が確認されたとか。

 このような生理的特徴を持った身元不明者の履歴が一件見つかったらしく、古い情報ではあるものの警察はこれを手掛かりとして捜査を進めてくれているらしい。

 看護師さんは血液などについて詳しく話してくれたが、深いことはあまり理解ができなかった。


「こんなところですかね。他に何か気になることはありますか?」


 一通りの説明を終えた看護師さんは、相変わらず鋭利な目元で僕を覗き込んでいた。


「――文字は? 彼女の書いた文字はどう検査されたのですか?」


 彼女の持つ特徴で一番不自然な事柄は『言語』に関してだ。「きっと警察や病院も然るべき探りをいれているだろう」と考えて、足早に質問を投げかけた。


「あなたも知っているのですね。――検査は入るでしょうが、認識障害などとして処理されるのが関の山です」

「でも⋯⋯ 彼女の書いた文字が読めるんです。それは彼女ではなくこちら側の問題です! お医者さんたちもきっと――」

「わかっています」


 看護師さんは、僕の補足に強制的にピリオドを入れた。


「これ以上話が拗れていくのは、彼女にとっても良いことではありません。医学の立場から見ても、科学的知見から解析できないものはどれだけ調べようと解析不能なままです」

「確かに、そうですよね⋯⋯」


 表面上では同意しつつも、どこか腑には落ちない。未知の現象があれば、解明したくなるのが人間の質なのではないだろうか。


「あまり納得していないようですね。これは私の経験則ですが、そういったケースでは数日で検査が打ち切られます。情報も頭打ちになりますし、医者は忙しい仕事ですから」


 看護師さんはそう言い終えると、顎に手を当てながら思考するような仕草を見せた。


「あなたはアクスティアをどう思っているのですか?」

「べ、別にどうって⋯⋯ 色々ありましたけど、どうとも思ってはないです。ただ、自分が第一発見者という立場なので、ことの顛末がちょっと気になっているだけですかね⋯⋯」


 看護師さんは少し間を開けて、「そうですか」と淡白な口調で答えた。


「私は看護師の『オノ』です。もし同じ件でここに尋ねてくることがあれば、私を頼ってください。あなたが話した理由であれば、必要ないかもしれませんが」


 指を定滑車のようにして、首から垂れ下がるネームプレートを持ち上げながら、看護師さんは自己紹介をした。


「オノさん⋯⋯ よ、よろしくお願いします」


 僕はオノさんの意図が判らず、困惑混じりの返事をしてしまった。

 看護師のオノさんは顔色一つ変化させず、僕の瞳をじっと見つめている。


「――あ、そういえば、今は元気なんですか? 彼女。昨日すれ違ったときは、あんまりに見えたから⋯⋯

 

 オノさんから溢れる非言語的な圧力と沈黙に耐えられず、僕は即席で作った質問を投げかけた。


「少なくとも元気では無いでしょうね。あなたも判っているでしょう。それとも、アクスティアはこんな状況でもぽけーっとしていられるような鈍感な子だと思っているのですか?」

「いや、別にそういう訳じゃないんです⋯⋯」


 オノさんは僕の言い訳を吹き飛ばすように深く息をつくと、そのまま言葉を続けた。


「アクスティアは、あなたのことを訊いていましたよ」

「僕のこと?」

「そうです。あなたのことです。警察の方々に、『それは教えられない』と優しく断られていましたが。あの子は『自らのせいであなたが大変な目にあっているのではないか』とあなたの無事を案じていました」


 「彼女曰く、『ソウには恩がある』のだとか」とオノさんは追伸を添えて、僕の反応を窺うようにして立っている。


「あなたも、多少は怖かったのでしょう? 後ろめたいことが無くても、沢山の大人に囲まれて、これからどうなるかも解らない検査や聴取を続けるのは酷なことです。ここはどこかも知らない彼女にとっては、もっと不安で心細いことでしょう」

「そう⋯⋯ ですよね。判ります」


 長くて空虚な廊下の先から、鈍重な沈黙を乗せた風が吹きつける。彼女は今も一人、どこかの病室で検査や聴取を受けているのだろうか。


「あなたも『そんなあの子の心配をしてここに駆けつけたのだ』と推測していましたが、ただの思い込みだったら⋯⋯ 出過ぎた真似をしましたかね」


 オノさんはそう呟いて、「ここは関係者以外立ち入り禁止なので」と僕に立ち去るよう促した。


 焦燥感というか、不快感というか、何にも形容しがたい不快感が喉の奥に蓄積している。それが僕の内側で醸成されたものでないことも、なんとなく察しがつく。


 僕は原因不明の靄がかかった心情のまま、「今日はありがとうございました」とオノさんに感謝を伝え、すぐさま踵を返した。


「――ちょっと待ってください。ハンカチ落としてますよ」


 オノさんが僕を呼び止める。

 振り返った先には、情けなく地面に落下したハンカチと、屈んでそれを掴もうとするオノさんの姿があった。


「ごめんなさい! 僕がとります」

「いえ、大丈夫です」


 オノさんの指先がハンカチに触れて、オノさんの膝は立ち上がるための準備動作を始める。

 僕がもっと気の回る人物であったなら、それを未然に止められていただろうか。


「――いてっ」


 廊下から突き出た手すりに、オノさんは勢いよく頭をぶつけた。




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