第88話 結婚
その瞬間は、不意に訪れた。
――旅の帰路にある仲間たちは、ハロルドの待つ街まで、あとわずかというところまで来ていた。
先を行くミセルに、ローレンが声をかける。
「おーい、騎士様。ちょっと話を聞いてくれ。」
「なんだ行商人。何の用だ?」
ミセルは、久しぶりに軽口を叩けるのかと期待して応じた。
「そのぅ……お前さん、シレーヌの洞穴で悪夢を見たって言ってたな。」
「ああ。お前も見ただろう。」
「お前さんの悪夢は……”花嫁になる夢”だったな。」
「ああ、そうだ。それがどうした?」
ローレンは顔を真っ赤にしながら、それでもまっすぐな目で言った。
「その悪夢……俺と正夢にする気はないか?」
ミセルは一瞬、驚いたように瞬きをしたが――やがて菫のように控えめな笑みを浮かべ、答えた。
「よかろう。ただし……お前にルドルフのような忍耐力があればな。」
言うなり、ミセルは前へ駆けていった。
大人のプロポーズを目の当たりにした子供たち――サトリ、リーナ、アモンは、それぞれ胸の中で思った。
(よかった。ローレンが思いつめてたのは、これだったんだ)
(さようなら、私の初恋……。私の恋は、お父さんを慕うのと大して変わらなかったのね)
(ハハハ、ミセルのやつ、照れてやがる)
そして口に出しては――
「おめでとう、ローレン!」
「ローレン、素敵だわ!」
「やったね、行商人!」と、はやし立てた。
街に入った仲間たちは、ハロルドの熱烈な出迎えを受けた。
「よく帰ってきてくれたな! 兄弟たちよ!」
彼は一人一人を力いっぱい抱きしめた。
ローレンが恥ずかしそうに結婚を報告すると、ハロルドは立ち上がり、胸をどんと叩いた。
「そういうことなら全部俺に任せろ! さぁ、忙しくなるぜ!」
そう言って、大喜びで結婚式の段取りを引き受けてくれた。
部屋を出ていくハロルドの背を見送り、残された二人。ローレンは不安そうに尋ねる。
「なぁミセル……本当に俺なんかと結婚して大丈夫か? お前は由緒正しき貴族様の姫君なんだろ?」
ミセルは肩をすくめ、からかうように笑った。
「なんだ、父上を見くびるな。父上なら『ラウドルップの姫が行商人の嫁になるなんて、おとぎ話みたいで一興だ』と笑って許してくれるさ。……それともローレン、お前はラウドルップ家への婿入りを希望か?」
このやりとりで、二人の力関係は早くも決まったようだった。
そして結婚式の日。
季節は春真っ盛り。教会の周囲では色とりどりの花々が咲き乱れ、まるで祝福するように香りを放っている。
教会の中では、真っ白な礼服のローレンが、花嫁の入場を待っていた。
参列者は、ハロルドが招いた商売仲間や街の有力者たち。華やかな衣装の人々の間を、純白のウェディングドレスをまとったミセルがゆっくりと歩み、ローレンの隣に立つ。
「……綺麗だ……」ローレンは思わずつぶやいた。
「バカね」――その声色は、夫となる者だけに向けられた、甘く優しい響きだった。
式を終えた二人は、ラウドルップ家への報告の旅に出ることにした。
愛用の荷馬車を二頭立てに改造し、ルドルフとエイミーに曳いてもらう。もちろん行商をしながら――そしてミセルの“女将修行”も兼ねた旅だ。
別れの時が来た。
「じゃあな、サトリ、リーナ、アモン。お前たちはこの旅で大人になった。心配はいらねぇ」ローレン。
「元気でな。お前たちのことは忘れない。私の力が必要なら、いつでも呼んでくれ」ミセル。
「さようなら、ローレン、ミセル。仲よくね」サトリ。
「さようなら。仲よくしてね」リーナ。
「バイバイ。喧嘩しても、もう仲裁する人いないんだからね」アモン。
ローレンとミセルは顔を見合わせて笑った。
「俺たちのほうが心配されてやがる!」
「じゃあ、出発だ!」
二人を乗せた荷馬車は、北方のラウドルップ領へと走り出した。




