第65話 ミセルの悪夢
・・・ミセルもまた悪夢を見ていた。
――雪が舞っていた。白銀の結晶が、血に染まった石畳に降り積もる。
城門は崩れ、戦火が轟く。吹き荒れる風に混じって、剣と剣のぶつかる音、悲鳴、怒号が混じり合っていた。
ミセルは崩れた石の上で膝をつき、剣を落としていた。振るうべき剣は、既に意味を失っていた。
「逃げろ、ミセル! お前は生きろ!!」
最後の命令。凛とした声が、怒号の中でもはっきりと響いていた。
振り返った先にいたのは、血を浴びた鎧姿の団長。敵の刃をその身で受け止め、なおも背中で彼女を庇う、あの誇り高き男だった。
「団長――ッ!!」
伸ばした手は、彼の背中には届かなかった。仲間たちは皆、既に倒れていた。炎に包まれた砦の中、ただ彼だけが立っていた。
彼女が最も敬い、命を賭して仕えてきた人。そして、心の奥でひとときたりとも忘れたことのない――愛した人。
「行け……お前だけは、生き延びろ……」
振り返らずにそう言った背中が、雪の帳の中に沈んでゆく。
「いやだ……私は……っ」
届かぬ想いが、喉で途切れる。
次の瞬間、戦場の風景がにわかに暗転し、死者たちの声が渦巻いた。
「お前がいなければ、私が死ぬこともなかった」
雪の中に現れた幻影がそう囁いた。顔は同じでも、その目は冷えきっていた。
「忠誠は裏切りを招く。お前の信じたものは、お前を見捨てたのだ」
その言葉に、ミセルは拳を握りしめ、凍てついた地面を何度も叩いた。凛とした騎士の仮面が崩れ、こみ上げる激情に、目を伏せるしかなかった。
「違う……私は……あなたを裏切ったりなんか……!」
けれど、返事はない。白い雪は赤く染まり、砦は音もなく崩れていった。
――
……アモンを除く四人は、地面に倒れたまま、苦悶のうめき声をあげていた。
その瞳には、痛みとも、恐怖ともつかぬ涙がにじんでいる。
それでもアモンは、シレーヌに詰め寄られながらも、必死に抵抗を続けていた。
「おいらはアモンだ! 港町で生まれた、ただのアモンだ!
お前たち闇の連中に、“様”づけで呼ばれる筋合いなんか、あるもんか!」
だが、シレーヌは驚きと混乱を隠しきれぬまま、かぶりを振った。
「いいえ……あなた様は、間違いなく闇の王グラトス様のご子息……アモン様です。
どのみち、グラトス様にお目通りいただければ真偽は明らか。……さあ、ご同行を」
そう言うやいなや、シレーヌはその不吉な黒のマントを広げ、アモンの全身を包み込もうとした。
「やめろッ!」
アモンはもがき、ねじれ、踏ん張りながら、必死にその腕の中から逃れようとする。
だが、シレーヌの腕はしなやかに、そして不気味なほどに強く、彼の身体を絡め取って離さない。
喪服の影が、闇の霧のようにアモンを呑み込もうと迫る。
――あわや、シレーヌの中に引きずり込まれようとした、その刹那。
「アモン、聞きなさい。あなたを縛る、その石を壊すのです」
それは――まるで森の奥に響く風のように、優しく、
それでいて確かな力を秘めた声だった。
アモンの頭の中いっぱいに、その声が静かに、しかし確かに響き渡った。




