第64話 リーナの悪夢/ローレンの悪夢
・・・リーナも悪夢を見ていた
――熱い。息ができない。喉の奥に焼けた空気が突き刺さる。
立ちこめる黒煙が、目も鼻も奪っていく。燃えさかる家の柱が、鈍い音を立てて倒れた。まるで叫び声のように。
「お母さんっ! お父さんっ!!」
叫びは炎に呑まれ、声にならない。視界の奥、歪んだ屋根がゆっくりと崩れ落ちた。燃えさかる梁の下で、微動だにしない人影――手を伸ばす間もなく、瓦礫がそれを覆い尽くす。
耳鳴りのような轟音の中で、彼女はただ立ち尽くすしかなかった。
そして、家が――すべてが――火に喰われた。
「守れなかったのね」
立ち上る炎の中に、母の姿がぼんやりと浮かんだ。やさしく微笑むその顔は、次第にすすけ、朽ちていく。
「あなたさえ逃げなければ……一緒に逝けたのに」
リーナは首を振る。否定しようとするたび、炎が大きくなり、母の声は冷たくなる。
「私たちを置いて、生き延びたのよ。ひとりで、ね」
燃え落ちる天井の下で、幼い自分が、膝を抱えて泣いていた。小さな肩が震え、喉から絞り出される嗚咽が、炎にかき消されていく。
――
ローレンもまた悪夢を見ていた。
窓辺の白いカーテンがふわりと揺れ、春の光が淡く部屋を包んでいた。遠くから小鳥のさえずりが聞こえる。けれど、部屋の中は異様なほど静かだった。
ローレンはベッドの傍らに膝をつき、アリスの手を握っていた。その手は、彼が知るどんな春の日よりも冷たく、まるで今しがた春そのものが終わったかのようだった。
かつての思い出が、ふいに胸をよぎる。
風に吹かれて舞う花びらを、アリスは楽しそうに追いかけた。転んだローレンを真っ先に助け起こしたのも、怪我をした小鳥を看病したのも、いつもアリスだった。幼い頃に二人で作った木の笛の音が、風に混じって聴こえた気がした。
「アリス……もうすぐ……薬が届くんだ。旅の行商人が運んでくれるって……もうすぐだから……」
震える声で告げたその言葉に、アリスは微笑んだ――いつもの、やさしい微笑みのままで。
「ローレン……そんな顔、しないで。あなたには、まだ……やることが、あるわ」
「やることなんて……もうない。君がいないなら……意味なんて、どこにもない」
ローレンの頬に熱い涙が伝う。けれど、アリスの声は変わらず穏やかだった。
「あなたは、きっと誰かを助ける人になる。私がそう信じてるから。だから……ねえ、行って……あなたの道を、歩いて……」
その声が、春の風に紛れて遠ざかっていく。白いカーテンも、陽だまりも、ベッドに活けた小さな花瓶も――すべてが色を失い、灰色へと崩れていった。
ローレンは手を伸ばした。触れられるはずのぬくもりは、もうどこにもなかった。
「……行かないで……アリス……お願いだから……っ……!」




