第三十錠 彼氏とタヌキ
寮長への外泊申請を済ませて駅へと足速に向かう。好子の後押しはあるものの、葵の気持ちは固まっていた。
スマホを取り出し、由香へ電話をかける。数コール後に電話は繋がった。
「あ、由香。久しぶり。今いい?」
「久しぶり。うん、いいよ」
数週間ぶりに聞く声はいつもと変わらない、落ち着いた石井の声だった。
「あのさ、今からそっち行くから会いたい」
「え、今から?」
「うん。ダメ?」
「…今日、彼氏とデートなんだよね」
「え…あ、そう…なんだ」
(もう、彼氏ができてたなんて…。やっぱり、フラれちゃったんだ…)
「今からでしょ?こっち着くの十一時くらい?」
「いや、新幹線使うから十時頃には着くよ」
「え、新幹線使って来るの?」
「ダメ?早く会いたいし…彼氏さんの邪魔はしないようにするから。ちょっとだけでいいの」
「…いいわ、駅で待ってる。アオイなら一緒にいても女友達にしか見えないから」
「…うん、ありがとう。それじゃ、着いたら連絡する」
「うん、待ってる。それじゃ」
石井の声は明るくて機嫌も良さそうと葵は感じていたが、「彼氏」の言葉には凹んでいた。あれほど愛し合っていたのに、意外とあっさりなんだなと寂しくなる。
(そういえば、前に夏祭りの前に告られたとか言ってたな…。言わないだけで結構モテて告白されてるのかも…)
今でこそ馴染んでいるが、東京から来ているだけあってちょっとだけ周りの子よりも大人びていてスタイルも良く、何より可愛いときている。同世代の男子が声をかけないわけがない。本当に好きではなくても、前の恋人を忘れるために付き合い始めるパターンもある。石井はそちらなのか、本当に好きな人ができてしまったのか…と思案しながら新幹線へと乗り込む。ただ、どのような経緯があったとしても石井は自分の道を歩いている。葵もまた自身の道を定めていた。二つの道が今後交わらないとしても、この胸の思いだけは伝えると心に決めていた。
十時九分、新幹線は時刻表通りに到着した。新幹線を一歩降りただけで空気の違いを感じる。県北は刺すような冷たさだが、県南は寒いもののそこまで身構えるほどではない。改札を抜けると石井が待っていた。県北の鳥山とは違って厚手のコートはいらないようだが、ショートパンツの下には黒のタイツを履いていた。流石に素手では寒いのか、パーカーのポケットに手を突っ込んでいる。
「おはよう、急なのにありがとう」
「おはよ。いいよ、大丈夫」
「立ち話だとちょっと厳しいからさ、図書館でもいい?」
「うん、いいよ。行こう」
怒るでも喜ぶでもない、ただ平坦な感情の石井を葵は初めて見た気がした。新幹線の中では、会えば今までのように仲良くできると期待していた部分もあったがそうではなかった。嫌われてはいないようだが、以前の恋人としての親しさはなかった。これが恋人と元恋人の違いなのかと思うと電話で知った時よりも寂しさが募る。並んで歩くものの、今回も手を繋ぐようなことはなく、ただ淡々と歩いている。駅近の図書館に着くと、グループ学習室へと向かう。複数人が個室で会話しながら学習できる部屋で、ここなら静かに話すことができる。席につき、葵はコートを脱ぐとその下からは冬物の女の子の服が現れる。
「へー、なかなか可愛いじゃん」
「ありがとう。ちょっと気になって買っちゃった」
「ほんと、どっからどう見ても女の子だよね」
「まあ…ね。ありがとう」
「で?彼氏とのデートの前に呼び出しておいてなんの話?その服を見せたかったの?」
「違うよ」
話の切り出し方は考えてあった。結末は予想できないにしても、しっかりと想いを伝えるつもりでいる。
「前に会った時、正直進路のことで悩んでた。どうしたらいいのかわからなくて。やりたいことが見つからなくて。ただ、由香やパパ、ママに甘えてた」
「そうね。あの頃は酷かった」
「謝るなって言われるだろうけど、あの時はごめん。周りは進路もなりたいものも決めてるし、正直焦りもあって逃げ出したい気持ちもあった。成績も落ちてきてて、気持ちがちょっと切れてたの」
「人が心配して送ったメッセージにも、ろくに返信しないしさ」
「う…それはほんとごめん。申し訳ないです」
「謝んなくていいから。今日は謝りに来たの?」
「そうじゃないの。あれから色々考えてみたの。これまでのことと、これからのこと。自分がどうしたいのかを含めてね」
「それで?答えは見つかったの?」
「うん。私ね、家庭教師になりたい」
「家庭教師、ね」
石井は笑い飛ばすこともなく静かに繰り返した。
「うん。今までのこと振り返ってさ、私には何ができるんだろう、私にしかできないことって何かなって考えたんだ。そうしたら、やっぱり勉強しかなくて」
「そうね。昔から勉強はできたから合ってると思うよ」
「それだけじゃなくてね、私はちょっと特殊だから。転生する人なんていないと思うけど、性別違和を覚える子供や心に悩みを抱えた子っていると思う。学校に行きたくても行けない子、家庭問題を自分のせいだって思っちゃう子とかね。ただ勉強を教えるだけの家庭教師になりたいんじゃない。私だから…私にしかできない、そういう子に寄り添える先生になりたいんだ」
「…なるほどね。確かに、心と体の性に違和感を覚えてる人は一定数はいるだろうし。学校行けないけど勉強したい子もいるだろうね」
「そう。だから…心理学を学んでみたいの。自分の価値観だけじゃない、ちゃんと子供たちの心にも向き合える先生になりたいんだ」
「…そっか、それがアオイの選んだ道なんだね」
「うん。一生勉強だし、こうすればいいっていう決まった答えのないものだと思う」
「でしょうね。だけど、普通に生きてきた人にはわからないこと、アオイならわかる気がする」
「人より苦しんだ分、誰かの辛さも理解できるのかなって」
「いいと思うよ。アオイらしくってさ。心理学学ぶって言ったらやっぱり大学なの?志望校とかは決めた?」
葵のやりたいことを聞いて、石井の表情がわずかに柔らかくなる。将来についてちゃんと考えてきたことに安心しているようだった。
「まだいくつか迷ってるんだけど、大体は絞り込んできたよ」
「東京?」
「東京か東北のどっちかかな。受かるように学力もつけないと」
「アオイなら大丈夫でしょ。てか弱気になるんじゃない!」
「そうだよね、夢に向かって頑張らないと」
「そうそう、そうこなくっちゃ。話してくれてありがとう。これでようやく私も安心できる」
「心配、してくれてたんだよね。ママから聞いたよ」
「え、あー…。あれ、聞いちゃったんだ」
石井は駅で泣いていた一件を思い出し、バツが悪そうになる。葵にはあまり知られたくなかった出来事だ。
「うん。なんか、いつも大事な時に由香のこと泣かせてばっかりだよね」
「ほんとだよ、もう泣き疲れたわ」
「ごめん…。でも、由香は新しい彼氏ができたみたいだし、もう大丈夫だよね」
「ん?うーん、まあね」
しばし沈黙し、石井は天井を仰ぎ見る。
「話すこと話したし、私は行くね。由香、今までありがとう。その…」
葵は言い淀む。この期に及んでも期待してしまう自分がいて情けなくなる。石井に戻ってきて欲しい、と。
「幸せに、なってね」
石井は答えずに黙り込んでいる。
少しの間を置き、口を開く。
「…ねえ、アオイ。ちょっと付き合って欲しいんだけど」
「どこに?」
「ケーキ屋」
「なんで?」
「彼氏と食べるクリスマスケーキ、まだ買ってなかったから」
「な…、そんなの彼氏と買いに行けばいいじゃん。なんで私なのさ」
別れを切り出しておいて、彼氏と食べるケーキを元恋人と買いにいくなんていじめか、と石井を軽く睨む。
「だって、彼氏はアオイ、あなただよ」
「はっ?」
「だから、試したの。ちゃんと自分の意思を持ってるか、見たかったの。ってか、元々私の彼氏でしょ?そもそも別れるなんて言った?」
「なにそれ…サヨナラって言ったじゃん。それに私は彼氏か」
「サヨナラになるかもね、だし。ちゃんと話聞いてる?それに…今は男の体だから、ね。前にも彼氏って言ったことあるし。それに、その内彼女になるんでしょ?」
口ぶりは「彼氏」と男扱いだが、本気で言っている様子はない。昔から変わらない、人をからかうような言い方。表情も口調も全てあの頃に戻っている。
「もう、由香のバカ」
「ふふ、見事に引っかかってやんの。アオイはまだまだ素直だね〜」
「…許すまじ」
「え、マジ?許してくれんの?ありがと〜」
「そうじゃないし!」
「わかってるって、ごめんごめん」
いつもの屈託のない笑顔を石井は見せている。それに釣られるように葵もまた笑顔を見せる。やはり、この子はタヌキだなと葵は思う。とびきり可愛くて優しい。時には粗治療もされるけれど…こんなタヌキになら騙されても許せてしまうだろう。これからも、ずっと。




