第十二錠 step
「はー、結構お腹いっぱいになっちゃったね、ご馳走様」
「そうだね、思ってたより量があったね」
そう答えたものの、葵にとっては様々な感情の波に押されて食べた気がしなかった。パスタ屋で由香の思いを聞いてから、葵の気持ちは今も揺れ動いている。いつものように平静を装おうとしても、うまくいかない。鼓動が早く、頭の中は混乱していた。
「これじゃあすぐにはデザート入らないから、ちょっと歩いてもいい?見たい所があるんだけど」
「いいよ、どこ行く?」
「なーいしょ、ついて来て」
「はいはい、ついて行きますよ」
石井は何事もなかったかのようにニコニコしている。少し、空気を悪くしてしまったかも…そんな気配を察してか、いつものように明るく振る舞っている。「Cuteがいい?」と聞く時のような、少しいたずらっぽい笑みを浮かべて。石井はスマホを片手にエスカレーターを降りていき、葵はその後ろをついていく。
「こっちかなー」
二フロア分折りた所で、石井は辺りとスマホを睨めっこしながら歩いていく。
(ここって…)
石井が降りたのは若者向けの女性服を多く取り扱うフロアだった。葵自身はこの駅ビルに何度も訪れているが、ここを一人で訪れたことはない。男の体が自然と遠ざけさせていた。自分には、場違いだと。
「ほら早く、こっちだよ」
少し先をいく石井が手招きしている。
「あ、ああ。悪い」
「ここを曲がった所に…あった!じゃーん」
手を伸ばす先には石井お目当てのお店があった。
入り口にはstep!と書かれたロゴが照明に照らされている。
「見たいところってここか…」
「そう、いいでしょ。Activeに新作出るって書いてあったし」
「確かに書いてあったね」
「お、ちゃんと内容覚えてるんだね。えらいえらい」
「そりゃあ一緒に見てたからね」
「興味なきゃ覚えないと思うけどなぁ」
「由香が『これ可愛いー』って言ってたから印象に残ってるんだよ」
「そうだっけ?」
「言った本人が忘れてどうすんのさ。ほら、早く見に行こう」
うまく誤魔化しつつ、石井を店内へと促す。
step!は主に小学校高学年から中学生の女の子を対象とした服と小物のお店だ。小学校低学年〜中学年向けの女児服から、少し大人になった女の子達が求める「かわいさ」に焦点を当てた服を多く取り揃えている。おしゃれに興味が出て来た女の子達に支持されており、愛も中学生の頃に他店ではあるがstep!の服を買ったことがある。
「これActiveに載ってた新作だ!やっぱり可愛いね」
「試着してみたら?由香に似合うと思うけど」
「本当?サイズあるかな〜」
店頭のトルソーに着せられた新作のサマーニット。透け感があり、インナーに黒のタンクトップを合わせていることもあって少し大人っぽい印象だ。
「サイズはあるけど、試着はやめとこうかな」
「なんで?イメージと違う?」
「いや、この下が…」
石井はパーカーの襟元を摘んでパタパタさせている。その仕草で葵は察した。
「俺は見ないから、試着室で合わせてくるだけでもいいんじゃない?気になるんでしょ?」
「うん、ちょっと」
「待っててあげるから、行っておいで」
「いいの?1人になっちゃうけど」
「大丈夫、そこのソファにでも座ってるよ」
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
そう言うと色違いをいくつか手に石井は試着室へと向かう。それを見送った葵はゆっくりとソファの方へ歩みを進める。
(step!に来るなんて、何年振りだろう)
愛の頃は母と共によく買いに来ていたが、葵の体となってからは初めてだった。葵の母と駅ビルに買い物に来ることはあっても、年齢層が違うため自分の年代のレディース服を見ることはなかった。
ソファに辿り着くまで店内を見回し、自身の好みの服も置かれていることに気づく。ソファに腰掛けてもスマホを手にせず、あたりの服に目を奪われていた。
「お待たせ、試着して来たよ」
「おかえり、どうだった?」
「試着してよかったよ。ネイビーがいいかなって思ったんだけど、グレーにしようかな」
「いいんじゃない?似合うと思うよ」
「本当?じゃあ次遊ぶ時これ着てこようかな」
選定したグレーのサマーニットを広げて、体に合わせて見せる。確かに、ネイビーよりもグレーの方が色白な石井に似合うと葵も感じていた。
「もう次回のお約束ですか」
「えー、いいじゃない。アオイはやだ?」
「全然、楽しいからいいよ」
「じゃあ、次はこれ着てくるからまた遊ぼうね」
こんなやりとりをしつつ、二人で店内を見て回る。これも可愛いんじゃない?このイヤリング、綺麗だね…そんな会話をする内に、愛の心は次第に落ち着きを取り戻していった。
(やっぱり、女の子はいいなあ…)
女の子同士で服を見て、それを着て出かけて。ペアルックをしたり、お互いの服を交換してみたり…楽しかったあの頃を思い出す。年代は違うものの、こうして出会った石井と共に過ごしていると、女の子への憧れはますます強くなっていった。
「お会計、2480円です」
色々と見たものの、購入したのはサマーニットだけだった。他にも気になる服はあったが、お財布事情もあってあれもこれもと買うことはできなかった。石井は3000円をトレーに乗せ、店員のお姉さんがレジを打つ。
「ではこちら、520円のお返しとレシートです。それと、今2000円以上お買い上げのお客様にお配りしてるキャンペーン品がありまして…」
「えー、なになに?」
「こちら、三色の中から一つ、お選びください」
そう言って差し出されたのはヘアクリップだった。前髪を止めたりするのに使うあまり大振りではないタイプだ。色は全部パステル調で青、ピンク、オレンジとあった。
「へー、かわいいね」
「どれがいいかなー、アオイはどれがいいと思う?」
「由香の好きな色でいいんじゃない?」
「アオイが選んでよ」
「なんで俺?」
「いいじゃん、どれがいいと思う?」
「俺だったら…」
由香に似合う色を考える。これまで過ごした印象から、迷うことはなかった。
「オレンジがいいんじゃない?」
「あ、やっぱり?じゃあオレンジでお願いします」
「はい、かしこまりました。それでは一緒に袋に入れておきますね」
店員はサンプルを下げ、透明のフィルムに包まれたオレンジのヘアクリップを袋に入れる。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
「はい、ありがとうございます」
step!とロゴが入った袋を受け取り、二人で店を後にする。
「なんで、オレンジにしたの?」
「由香だったら何色が似合うかなーって思って。そしたらオレンジだった」
「あー、私もあの三色ならオレンジがいいなって思ってた」
「そうなの?じゃあよかった」
「ちょっと待って」
由香はそういうと立ち止まり、先ほどもらったヘアクリップを取り出す。透明のフィルムを開け、中身を取り出すと葵の前髪を挟んで止める。
「なっ…」
「やっぱり、アオイもオレンジが似合うよ」
「何してんのさ」
「いいじゃん、可愛いし」
「そういう問題じゃ…」
たじろぐ葵を気にも止めず、石井は続ける。
「お節介かもしれないけどさ、アオイって女の子のもの、持ってないんじゃない?だからさ、今は髪留めしかないかもしれないけど…好きなものを好きって言ったり、身につけたいもの身につけてもいいんじゃないかなって思って。色はパステルだけどさ、オレンジってなんか元気が出る色してると思わない?私の想像だけどさ、アオイも色々あると思うからこれでもつけて元気出してほしいなって」
「…ありがとう」
少し間をおいて感謝の言葉を述べる葵は、石井の目を見ることはできなかった。ヘアクリップで前髪を止めた葵の姿を見られたくないのではない。ただ、素直に嬉しくて、気恥ずかしくて直視できないでいた。落ち着いていた胸の鼓動は再燃し、葵の頬を赤らめさせる。葵の体となって、初めて身につけた女の子のもの。
「でも、今は…」
「うん、人が多いからね。おうちで一人の時にでも楽しんで」
「ありがとう。大切にする」
「うん、そうしてもらえると私も嬉しい」
そう言って、いつもの無邪気な笑顔を葵に向ける。
(いい子だな…こんな子が彼女だったら男は幸せだろうな)
そんな思いを胸に、葵はクリップを外してカバンへとしまう。
キャンペーン品のクリップだが、人から初めてもらった女の子向けの品物。この出来事は葵にとっても、愛にとっても、そして石井にとっても大切な思い出の一つとなった。




