第一章ー「五月雨」ー(3)
君を抱きしめてから数分が経過しただろうか。僕の腕に冷たい何かが当たる感触があった。耳元で小さく
「泣いてる?」
と聞くと、それより小さくこくんと頷いた。
初め感じた冷たいものは次から次から僕の腕に当たり、それから君の手を伝って流れて、落ちていった。声を上げるようなことはなかったが、時々息が苦しくなってつく小さなため息と、とめどない涙がおさまるにはまだもう少しこのままでいる必要があった。
「…って…から…さぁ…」
やがて落ち着いたのか、君は小さな小さな声でつぶやいた。もう一度とせがむと、少し息をついて話してくれた。
「ずっと会ってへんかったから…ゆうくんが遠くてさ…。もうあたしゆうくんにとって…必要なくなったんかなぁって思っててさ…。」
「そんな…。」
僕は申し訳なくて、のどが苦しくて、短く返事することしかできなかった。君は続けた。
「この前な、『ゆうくんは忙しいのに無理して会ってくれてて、それだけで嬉しい。』ってメールしたやん?でもな、ホンマはもっとずっと寂しくて、次会われへんかったら…押しかけてもいいかなって思うくらい…いっぱいいっぱいやってん。わがままなんはわかってんねんけど辛くて…。」
「…うん…。」
「でも今こんなに近くにおって、ゆうくんに触れてて、触れられてて、あたしはまだゆうくんの彼女でおっていいんやって…そう思えて…めっちゃ嬉しくて…ほんで…。」
「うん…。」
君は合間に何度も小さく息を漏らしてゆっくりと喋っていた。僕はやはり苦しくて短い返事を重ねるだけだった。君の涙をぬぐいながらなんと言えばいいのか考えていた。
「ごめんな。寂しい思いさせて…。」
結局僕がまともに言えたことはそれだけだった。もっと他に言いたいことはたくさんあったはずなのに。
心につっかえていた事が吐き出せたのか、君はいくらか落ち着いたようだった。僕が後ろへずるずると引きずる形で、1つのいすに二人で座った。
しばらくして完全に落ち着きを取り戻した彼女は
「ん?泣いてなんかなかったよ?」
と言い張った。君が泣いた後は決まってこう言うのだ。泣き虫なくせに僕以外の人前で泣くことはなかった。僕の前でだって取り乱してなくことはなかったけれど。君は泣き虫な自分のことをよく思っていなかった。
「泣くのは嫌い。だって女の子が泣いたら泣いたもん勝ちになっちゃうもん。」
という論理らしい。
彼女はそのまま僕に抱かれっぱなしだったが、急に立ち上がり、僕に笑顔を見せて
「ありがと。元気になった。」
トテトテとまたコンロの前へ向かった。
今度は違和感のない、空元気ではない君がそこにいた。実を言うともう少し座っていてほしかったけれど、楽しそうだったのでそっとしていた。
どうやらっさきからシチューを作っているようだ。
「シチューって前から作れてたやん。」
僕が指摘すると
「ちゃうしっ。クラムチャウダーやし。」
と自慢げに言い張った。それはつまり……深くは触れないことにした。ただひとつだけ文句をつけることにした。
「俺、貝ちょっと苦手やねんけど。」
君はチラッとふりかえって「知らぬ。」と言わんばかりににやりと笑った。




