第15話 本来の家主
この世界、冷蔵庫は無いがちょっとした保冷庫はある。
保冷庫は断熱性が高い厚みのある木箱に、冷却の術式が刻まれた魔石がセットされている。
うちの調理場に置かれている保冷庫も同様の造りだ。
魔石は魔力を流し続けている間だけ刻まれた魔法を実行する。
魔法の効果を持続させたい場合は、その場でずっと人間が魔力を流し続けてないといけない。
国家レベルの作業は交代制の人海戦術で何とかなるが、一般家庭ではそうもいかない。
だから保冷庫の中の食材を守るために、定期的に魔石を動かしているのだ。
うちの場合は朝と晩の二回、それぞれ数分間だね。
食材が入っている時にうっかりこれを忘れるとどうなると思う?
翌朝に蓋を開けた時に悲惨な臭いを嗅ぐ罰ゲームとなるのだよ。
今朝も我が家の食材を守るべく、魔石に魔力を流し込んでいると――
パキッ
やや乾いた音がした。
「お……」
見ると魔石が大きくひび割れている。
その亀裂が一気に広がると、砕けた欠片が魔素へと還元され、淡い霧となって霧散していく。
魔石は魔素が凝縮されて出来た結晶なので、使用していると寿命が来てこんな感じで霧散する。
乾電池だったら空になっても消えないんだから、何も砕けて消えなくてもな。
家にまだ在庫があったと思うので、後で交換しておこう。
こんなファンタジー溢れる物なのに、生活消耗品なんだよな。
ファナの魔法で冷却してもらう事も一瞬検討する。
頭の中でファナが魔法を使う所を想像してみた。
……うん、保冷庫ごと凍らせそうだから却下。
冷却でなくて瞬間凍結魔法みたいなのをされても困る。
『ファナさんの冷却魔法では、バナナで釘が打てます』みたいなコマーシャルになっちゃうよ。
「おはようございます」
食堂に起きたファナが入ってきた。
「おはよう。高吸水性ポリマー代理」
高吸水性ポリマー=保冷剤の成分。
「高きゅう……ポリマー?」
「なんでもない」
「なんだかバカにされた気がします」
「気のせいだ」
釈然としない表情のファナを放っておき、朝食の準備を始める。
保冷庫から出した野菜を使っての野菜スープ。
溶き卵も落としちゃおうかな。
「今日もギルドに行くのか?」
「はい。ソシエさんがどんどん来てくださいって言ってましたし」
ファナはもう一人で何回かギルドの依頼をこなしている。
あまり難度が高い依頼は受けていないようだが、順調に冒険者としてのキャリアを積んでいるようだ。
「あ、私も手伝います」
「いよいよ料理に挑戦するか」
ファナがこの家に住み始めてからしばらく経ったが、こいつは料理は今までほとんどしていなかった。
エルフは菜食主義者が多く、里で食べるものも果物や木の実、生野菜がメインとのこと。
だから調理という行為自体にも馴染みがさほどなかったらしい。
「いつまでもヒカルさんに作ってもらってばかりではダメですもん。自分でも作れるようになりたいです」
「いい心がけだ」
この街に来てから肉とか目を輝かせて食べてるように、ファナ自体は菜食主義者ではない。
エルフの里での食生活が『そうだった』というだけらしい。
「じゃあまずはこの鍋に水を半分くらい入れてくれ」
「はい」
ファナは鍋を持って調理場の隅にある水瓶に歩いていった。
昨日、庭の井戸から汲んできたばかりなので、中はほぼ満水。
そっちは任せて俺はかまどの前でしゃがんだ。
保冷庫の魔石が砕けたし、着火用の魔石も寿命が来てないか確認するためだ。
うん、こっちの魔石はまだ大丈夫そうだ。
砕けそうになると色が薄くなっていくけれど、まだその兆候はない。
「あっ!」
ざばぁ
室内なのに上から水が降ってきた。
不思議なこともあるもんだ。
しゃがんだまま見上げるとファナが空の鍋を持ったまま、すぐ側に立っていた。
こいつはハーフエルフだと思っていたが、雨雲さんだったみたいだな。
「ご、ごめんなさい!!」
慌てて謝ってくる。
「気にするな」
「手元の鍋に注意してたら、ヒカルさんに気付かなくて」
「しゃがんでいたしな」
「ドラゴンも足元の蟻は気にしないと言われますし」
「見えなかったって言いたいんだろうけど、それ圧倒的強者は雑魚を相手にしないってニュアンスじゃない?」
人間とエルフの魔力差的に間違ってないだろうけどさぁ。
「いずれにせよ、声をかけなかった俺のミスだ」
一人で食事の準備をしていた時と違い、他の人の動きに注意を払わないといけないな。
酒場では複数の従業員と一緒に働いている時は自然にできているのに、家だとその考えがすっぽりと抜けてしまっていた。
カゼルドと二人でメシを作ることなんてほとんどなかったしな。
とりあえず濡れた服を抜いて上だけ服を脱ぐ。
自室に戻って着替えてこよう。
「わ、わぁ……」
上半身が裸の俺を見るファナ。
なんか目がキラキラしてる。
「し、下も脱がないと」
「さすがにここでは脱がない」
「風邪ひいちゃいますっ!」
「冬じゃないし、寒くない」
「せ、洗濯します!」
「ズボンから手を離せっ!」
「フーッ……フーッ」
鼻息が荒いっ!
「せめて拭きます……拭かせてください!」
「自分でできるから!」
「んぎぎ……」
何かのスイッチが入ったファナを引きはがそうと攻防を繰り返していると、玄関の扉が勢いよく開く音が聞こえてきた。
「ただいま帰ったぞ~!!」
続いて短いリズムでドスドスドスと重みがあるが低い音が響いてくる。
「アイムホームッ!! 満を持してワシが帰宅したぞぉ!
んんっ! この懐かしき家の匂い。
毎日生活していると自分家の匂いはわからず、学校から遊びに来た友達に『お前の家の匂いなんか変だな?』と言われて衝撃を受けるものではある!
でもワシはこの帰宅時のみに感じ取れるこの匂いが大好きであるぞぉ!
ヒカルを一人残してしまっていったから、家中に若い男が放つ栗の花の匂いを充満させてないか心配したが、杞憂であったわ。ガハハハハ!!」
食堂に現れたのは小柄だがやたらとがっしりした筋肉質の中年の男。
全体的なシルエットは柔らかいイメージとはいっさい無縁の四角い箱の印象を受ける。
いつ見てもマインクラフトのキャラ。
たっぷりとした髭を蓄えた全体的なその姿はドワーフそのもの。
この家の本来の家主であるカゼルドだった。
「ガハハハ……ハハ……」
カゼルドが俺達の姿を見て止まる。
上半身裸の俺と、俺のズボンに手をかけているファナの姿をだ。
俺たちも停止する。
時が止まった。
世界はこんなのも静寂だったのか。
「ヒ……ヒカルが女を連れ込んで栗の花の匂いを充満させようとしている~~~~!!!」
「ご、ご誤解だっ!!」
「衛兵さん、アイツです!!」
「衛兵なんていないだろっ!」
「呼びましたか?」
カゼルドの後ろからひょっこりとおじさんが顔を出す。
「いるのかよ!」
「この方は飲み友達のハルパさんじゃ」
「どうもシガル市衛兵隊、隊長のハルパです」
「隊長かよ! ――初めましてヒカルです」
「ツッコミながら流れるように自己紹介をするとは、中々やり手ですね?」
「じゃろう? こいつは筋が良い」
先輩芸人コンビかな?
「それはそうと淫行の恐れがあるので捕縛いたしますね」
「だから誤解だっつーの!」
「お、なかなか引き締まったいい身体してますね」
「縛りながら足を撫でるなっ!」
「今度、シガル市城壁周回マラソン大会があるので一緒に出ませんか? ランニングが私の趣味なんですよ」
「どうしたらこの流れで誘えるの!?」
「いいのう。お前らが必死に走ってる姿を肴に飲ませてもらおう」
「ファナ、いい加減こいつらの誤解を解いてくれっ!」
「あっ、はい……」
その後、カゼルドとハルパの誤解を解くまでしばらく時間を費やすはめになった。




