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戦国乙女ゲーのお市に転生したので、推しの柴田勝家ルートを現実で攻略します  作者: 一月三日 五郎


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第7話:逃げる最推し、追う私、そして迫るタイムリミット

「……見事なまでに、もぬけの殻ね」


織田家筆頭家老、柴田権六勝家の執務室。

その開け放たれた戸の前で、私は盛大にため息をついた。


部屋の中には誰もいない。


机の上には綺麗にまとめられた書状の束と、

まだ微かに墨の香りが残る筆が置かれているだけ。

つい数分前まで、ここに誰かがいたのは確実だった。


「お市様、またですか……」


後ろに控える侍女が、憐れみの混ざった目で私を見つめている。


そうなのだ。


また、なのだ。


観音寺城の戦いが終わってからというもの、

私の最推しである勝家様は、私から全力で逃げ回っていた。


廊下で向こうから歩いてくるのが見えれば、

私と目が合った瞬間に不自然なほどの直角ターンを決めて別の角へ消える。


鍛錬場に差し入れを持っていけば、「これより遠征の準備が!」と叫んで、

まだ誰も集まっていない馬場へと全速力で駆けていく。


極めつけは宴の席だ。


私が上座からどれだけ視線を送っても、下座の端にいる勝家様は頑なに私と目を合わせようとせず、

まるで置物のように微動だにしなかった。


徹頭徹尾、完全に、避けられている。


(いくらなんでも、避けられすぎでしょ!? 私、何か嫌われるようなことした!?)


いや、理由はわかっている。


あの相撲大会だ。


秀吉の巧妙な軽業によって土俵に泥をつけさせられた勝家様は、その不甲斐なさを深く恥じていた。


さらに追い打ちをかけるように、あの青髪トレンディ家康との(一方的な)

睦まじい(ように見えたかもしれない)ツーショットを目撃されてしまった。


勝家様の頭の中は今、ネガティブな妄想が大渋滞を起こしているに違いない。


『某のような泥臭い猪武者では、お市様の隣に立つ資格はない』

――そんな、ゲームのバッドルート一歩手前のようなセリフが、

あの生真面目な脳内でぐるぐると再生されているのが容易に想像できた。


「でもね、権六。逃げれば済むと思ったら大間違いなんだから!」


私は拳を握りしめた。


のんびり鬼ごっこに付き合っている暇は、今の私には一分一秒たりともないのだ。


なぜなら、現在進行形で『浅井長政ルート』が、ものすごいスピードで進行中だからである。


先日の宴で、信長お兄様は完全に長政様を気に入ってしまった。


長政様自身も、生真面目で実直な性格ゆえに

「婚姻した暁には、この身命を賭してお市様をお守りする」なんて恋愛フラグ確定の忠誠イベントを、

出会って数分で発生させてくれている。


周囲の家臣たちも「誰もが認めるお似合いの美男美女」と、

織田と浅井の同盟を前提とした祝賀ムード一色だ。


(長政様は本当に素晴らしい人だよ!?

 顔も性格も良くて、まさに戦国アイドル枠!

 でも私の心には、あの不器用で、ごつごつしてて、

 すぐに眉間にシワを寄せるイケオジ勝家様が住み着いちゃってるの!)


何百回ものゲームオーバーを乗り越えて辿り着いた、勝家様との【TRUE END】。

あの画面の向こうの温もりを、現実のここで手放すわけにはいかない。


「……こうなったら、力業ね」


私一人の捜索網では、清洲城の広さと勝家様の忍び並みの逃走スキルに対抗できない。


ここはやはり、あの『知の怪物』を頼るべきだろう。


清洲城の片隅にある、臨時の軍師執務室。


そこには、相変わらず雪のように白い肌をした病弱な貴公子――竹中半兵衛が、

静かに盤面を眺めていた。


彼が手元で弄んでいるのは、私が前世の知識で作らせたあの『オセロ』の白黒の一文銭だ。


「……なるほど。戦場において敵が退路を確保し、こちらの接近を拒んでいる、と」


私が一連の事情(長政様との縁談がヤバいこと、勝家様が超高速で逃げ回っていること)

を説明すると、半兵衛は感情の読めない涼やかな瞳をわずかに細め、クスリと笑った。


「色恋の指南は管轄外と申し上げたはずですが、お市様」


「そんなこと言わないで半兵衛! これは織田家の……ううん、私の人生がかかった一大決戦なの! 権六を物理的に捕まえる作戦を立てて!」


「物理的に、ですか。なかなか物騒なことをおっしゃる」


半兵衛は筆を置き、細い指先で顎を支えた。


「柴田殿の逃走経路は、おそらく完全にパターン化されています。

 あの御方は戦術においては愚直ですが、一度『お市様から逃れる』という目的を設定すれば、

 その強靭な肉体と武人の勘をフルに活用される。

 まともに追いかけても、清洲城の地形を利用されて終わりです」


「じゃあ、どうすればいいの?」


「退路を断ち、包囲殲滅するしかありませんな」


半兵衛は、まるで数万の敵軍を罠に嵌めるかのような爽やかな笑顔で言い放った。


「柴田殿が逃げるのは、お市様が『正面から近づいてくる』からです。

 ならば、正面を囮にし、逃げ道を一つに限定する。

 そして、その逃げ道の先で、お市様が待ち伏せをすれば良い」


「待ち伏せ……!」


「幸い、今日の夕刻、柴田殿は西の輜重庫しちょうこへ物資の検分に行かれるはずです。

 あそこは裏手が壁になっており、逃げ道は表の細い一本道しかありません。

 私が他の兵を使って表の道をそれとなく塞ぎましょう。

 柴田殿は必ず、古い荷物置き場を経由して裏の抜け穴へ向かうはずです」


半兵衛は、盤面の上にぽんと黒い銭を置いた。


「そこが、決戦の地です。

 お市様、退路を断たれた猪がどのような動きをするか……その目で確かめてくると良いでしょう」


「半兵衛……あなた本当に、味方でよかったわ」


私は天才軍師の冷徹かつ完璧なプロットに震えながらも、深く感謝して部屋を飛び出した。


◇◇◇


夕暮れ時。


清洲城の西側にある、今は使われていない古い荷物置き場。


薄暗い堂内には、埃っぽい匂いと、格子窓から差し込む一筋の茜色の光だけが満ちていた。


私は半兵衛に言われた通り、古い葛籠つづらの陰に身を潜め、じっと息を殺していた。


心臓がうるさいほどに鳴っている。


二日酔いの時とは違う、緊張と高揚感が喉の奥を締め付ける。


(本当に来るかな……)


そう思った矢先、バタバタと静かな、しかし重い足音が近づいてきた。


「くっ、まさか表の道が兵糧の搬入で塞がっているとは……。

 これではお市様の部屋の近くを通らねばならぬ。

 仕方ない、この古い抜け道から……」


ぶつぶつと低い声で呟きながら、薄暗い堂内に入ってきた巨漢。


固められたオールバックに、泥に汚れた直垂。


間違いなく、私の最推し、柴田勝家様だった。


勝家様が部屋の中央まで進み、完全に引き返せない位置に達した瞬間。


私は葛籠の陰から勢いよく飛び出し、彼の『唯一の逃げ道』である扉の前に立ちはだかった。


「そこまでよ、権六ーーー!」


「なっ……!? お、お市様!?」


勝家様は、まるで戦場で伏兵に遭ったかのように目を見開いた。


その巨体が目に見えてビクッと跳ねる。


彼は反射的に後ろへ下がろうとしたが、そこはただの壁だ。


「な、なぜここに……! このような埃っぽい場所に、姫様が居られるべきでは……!」


慌てふためき、視線を激しく彷徨わせる勝家様。

その様子は、戦場での『鬼柴田』の威厳など微塵もなく、悪戯がばれて慌てる大型犬のようだった。


「戻りません! やっと捕まえたんだから、絶対に離さない!」


私は扉の前に背中をつけ、両腕を広げて通せんぼのポーズをとった。


「どうして逃げるの!? 最近、私の顔を見るたびに走って逃げていくじゃない!

 私、権六に何か悪いことした!? 嫌われるようなこと、言った!?」


一歩、また一歩と近づきながら問い詰める。


勝家様は、私が近づく分だけ後ろに下がり、ついには背中が部屋の頑丈な柱にぶつかった。

完全に壁ドンならぬ、柱ドン状態(私が仕掛けた側だけど)である。


「お市様、滅相もない……! 某が、お市様を嫌うなど、天地がひっくり返ってもあり得ませぬ!」


勝家様は苦しげに顔を歪め、ぎゅっと拳を握りしめた。

その大きな手が、微かに震えている。


「では、なぜ逃げるのです!」


「それは……某が、不甲斐ないからにございます……!」


絞り出すような声だった。

勝家様は、私を見ようとせず、自身の泥に汚れた足元をじっと見つめた。


「相撲では、猿ごときに無様な敗北を喫し、信長様の前で恥を晒した……。

 

 それだけではありませぬ。

 某のような、戦うことしか能のない泥臭い猪武者では……あのような華やかで光り輝く徳川殿や、

 家柄も良く聡明な浅井殿の足元にも及びませぬ。

 

 お市様の隣に立つべきは、某のような猪武者ではなく、

 あのような方々なのだと……思い知らされたのでございます」


「権六……」


「お市様は、織田家の至宝。

 某のような過去に傷を持つ身が、これ以上お側に侍れば、お市様の名を汚す。

 ……長政殿との縁談が進んでいると聞き及んでおります。

 かの方ならば、お市様を幸せにできましょう。

 だから、某は……」


切ない。


切なすぎて胸が張り裂けそうだった。


この人は、自分のプライドが傷ついたから逃げていたんじゃない。


私のことを想うがあまり、自分の劣等感に押しつぶされて、

私を「もっとふさわしい誰か」に譲ろうとしていたのだ。


(なんて、なんて不器用で、優しくて、大馬鹿野郎なの……!!)


「……バカ」


「え?」


ぽつりと呟いた私に、勝家様が驚いたように顔を上げた。


私は彼の目の前まで一気に踏み込み、その逞しい胸板に、両手で思いっきり拳をぶつけた。

ポカ、と鈍い音が響く。


「権六の大バカ者! 誰が家康殿が良いって言ったのよ!?

 あんな昭和のトレンディ大名、結納金百万両積まれてもお断りよ!

 長政様は、確かに格好良くて完璧だけど、

 私の『推し』は……私が一生ついていきたいって決めたのは、あなただけなの!」


「お、お市様……?」


「泥臭くて何が悪いのよ! 稲葉山城の戦いで、一番乗りの手柄を立てた時の権六は、

 世界で一番格好良かった! 相撲で負けたからって、何よ!

 私にとっては、土俵の上で汗を流して一生懸命戦ってた権六が、誰よりも輝いて見えたんだから!」


息を荒くしながら、私は勝家様の胸ぐらをぐっと掴んだ。

少し背伸びをしないと、彼の顔が近くに見えない。


「家柄なんて関係ない。美男子かどうかも関係ない。

 私は、不器用で、真っ直ぐで、誰よりも誠実なあなたの背中が好きなの!

 権六じゃなきゃ、絶対に嫌なの!」


「……某……で……」


勝家様の瞳に、じわリと熱いものが浮かぶ。

彼は信じられないものを見るかのように私を見つめ、

それから、ゆっくりと、私の肩にその大きな手を添えた。


壊れ物を扱うような、あの桶狭間の翌日の廊下と同じ、優しくて暖かい手。


「お市様。某は……某は、これほどの果報を預かって、良いのでしょうか」


「良いに決まってるわ。だから、もう二度と逃げたりしないで」


「はっ……! この柴田権六、二度とお市様から逃げ隠れいたしませぬ!

 この命に代えても、あなた様をお守りいたします!」


勝家様の二度目の忠誠イベント。


ようやく、ようやくフラグが立った。

勝家様の瞳に、いつもの強い光が戻ったのを見て、私は心の底から安堵した。


(よかった……これで、すれ違いは解消されたわ!)


勝家様の大きな手が、恐る恐る私の指を包み込む。


(あ……)


その瞬間だった。


「いやはや、実に熱いパッション! まさに純愛の極みにござりますなァ!」


「ひぇっ!?」


突然、荷物置き場の入り口から、場にそぐわないほど明るく、そして大仰な拍手が響き渡った。


私と勝家様が慌てて飛び退き、入り口を振り返ると――。


そこには、極彩色の着物を羽織り、ニカッと愛嬌のある笑顔を浮かべた羽柴秀吉が立っていた。

腰の瓢箪がカラカラと不気味な音を立てている。


「さ、猿……! 貴様、なぜここに!」


勝家様が瞬時に臨戦態勢に入り、私を背中に隠すように前に出た。


「いやあ、柴田殿を少しお見かけしたもので、

 お声をかけようと後を追って参れば……まさか、お市様とこのような『密会』をされておられるとは。

 お熱いことで」


秀吉の目は笑っていなかった。


その瞳の奥にある底知れぬ野心が、暗い堂内でギラリと光る。


「しかし、困りましたなァ。

 上様(信長様)は、すでにお市様を浅井家へ輿入れさせる気で満々にござります。

 家中も皆、そのつもりで動いている。

 

 ……それなのに、織田家の重臣たる柴田殿が、

 姫様を惑わして縁談の邪魔をしているとなれば

 ……これは『謀反』の疑いをかけられても、文句は言えませぬぞ?」


「なっ……! 某はただ、お市様への忠義を……!」


「分かっております、分かっておりますとも!」


秀吉は揉み手をしながら、一歩、また一歩と近づいてくる。


「だからこそ、敢えて忠告に参ったのです。

 ……物事には『順序』というものがございます。

 

 上様の決定を覆さぬまま、このように裏で睦み合っていては、

 柴田殿の首が物理的に飛ぶことになりますぞ?」


ゾクリと、背筋に冷たいものが走った。


秀吉の言うことは、正論なのだ。


戦国時代において、主君の決めた政略結婚を無視して勝手に恋愛結婚に走るなど、死罪に値する。


「藤吉郎、あなた、お兄様にこれを告げ口するつもり……?」


私が声を震わせながら尋ねると、秀吉はニカッと笑った。


「滅相もない! この藤吉郎、上様の次に、お市様と柴田殿のことが大好きにござりますれば。

 ただ……明日の朝、上様より『浅井長政殿との婚姻に関する正式な命』が

 下される手筈となっております。

 

 ……それまでに、柴田殿が上様を納得させるほどの『何か』を示せねば、すべては終わり。

 ……タイムリミットは、明日の朝にござります」


秀吉はそれだけ言うと、大仰に頭を下げ、ひらひらと手を振りながら去っていった。


静まり返る荷物置き場。


格子窓から差し込む茜色の光は、いつの間にか夜の闇へと溶け込み始めていた。


「お市様……」


勝家様が、悔しげに拳を強く握りしめる。


ようやくお互いの気持ちが通じ合ったというのに、歴史の、そして魔王信長の強制力は、

私たちの猶予を完全に奪い去ろうとしていた。


婚姻の正式命令まで、あと一晩。


私の「推し存続計画」は、想像以上に手遅れ寸前の、最大の危機を迎えていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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