第5話:泥に咲く華、水面に揺れる月
稲葉山城を落とし、日の出の勢いでお祭り騒ぎの織田家。
だが、信長お兄様の機嫌は山の天気より変わりやすい。
これ以上のヤンデレ大爆発を防ぐため、私は一計を案じた。
「兄上、織田家のさらなる団結と、皆の息抜きを兼ねて『相撲大会』を開くのはいかがでしょう!」
信長の機嫌を取りつつ、戦場での最強格である勝家様の圧倒的な強さを公の場でアピールし、
その評価を盤石にする――。
完璧な計画。そう、この時は思っていたのだ。
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「柴田殿、押し出しーーーっ!」
相撲大会当日。
熱気に包まれる土俵の上で、勝家様は順当に勝ち上がっていた。
上半身裸の引き締まった肉体、盛り上がる筋肉、滴る汗。
不器用ながらも真っ直ぐに相手を圧倒するその雄姿に、私の心のペンライトは激しく輝きを放ち、
尊さで胸が苦しい。
そして、ついに迎えた決勝戦。
土俵に上がってきたのは――まさかの男だった。
「いやはや、まさかこの藤吉郎がここまで残るとは! 柴田殿、お手柔らかに!」
極彩色の着物を脱ぎ捨て、褌一丁でニカッと笑う秀吉。
(力の勝家様 対 素早さの秀吉。)
ゲームでも異色のマッチアップが、今ここで実現してしまった。
「はっ……見合って、見合って……はっけよい、残った!」
「おおおおお!」
行司の合図とともに、勝家様が猛烈な勢いで突っかかる。
だが、秀吉はそれをひらりひらり、まるで風に舞う木の葉のように身軽にかわした。
「ちょこまかと……! 男らしく組み合え、猿ゥ!!」
苛立ち、吠える勝家様。
その気迫に押されたのか、秀吉は「さて、そうまで言われては仕方がございませぬな!」と、
苦笑しながら正面から応じる構えを見せた。
勝家様がここぞとばかりに一直線に突進する。
その巨体が秀吉を迎え撃つかと思われた、次の瞬間。
「ほいっと!」
秀吉は突進の力を利用し、勝家様の頭の上を「馬跳び」の要領で鮮やかに飛び越えたのだ。
空中で一回転した秀吉が綺麗に着地するのと同時に、勢い余った勝家様は土俵の外へと倒れ込み、
激しく土をつけた。
「勝負あり! 羽柴藤吉郎ー!」
「いやあ、見事見事! さすがは我が猿よ、見事な軽業ではないか!」
上座の信長お兄様が、珍しく満足そうに声を上げて秀吉を褒めそやす。
沸き立つ場内。
だが、土俵の下で泥にまみれた勝家様は、悔しそうに拳で地面を叩き、
歯噛みしながらその場から走り去ってしまった。
「権六……!」
胸が締め付けられ、私は思わずその後を追おうと立ち上がる。
しかし。
「――待て、市」
低く冷徹な声が、私の背中を縫い付けた。
信長お兄様の手が、私の腕を強く引き留める。
「次は余と秀吉の勝負だ。
余の晴れ舞台を前に、席を外すなど許さん」
一喝され、周囲の視線が集まる。
走り去った勝家様のことが心配で胸が張り裂けそうだったが、
自分が提案した相撲大会を途中で投げ出すこともできず、
私は血の気が引く思いで観戦を続けるしかなかった。
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結びの一番。
織田信長対羽柴秀吉。
先ほどの軽業とは打って変わり、二人の戦いは真っ向からの力比べとなった。
「ぬうう……っ!」
秀吉は必死の形相で善戦するものの、信長お兄様の圧倒的な体格差と覇気には抗いきれず、
最後は豪快に土俵へ転がされた。
「そこまで! 上様の勝ち!」
「ハハッ、さすがは上様! この藤吉郎、逆立ちしても敵いませぬ!」
泥だらけで悔しがりつつも、秀吉の顔はどこか嬉しげだった。
主君の引き立て役としての役目を完璧に全うした、そんな計算高ささえ透けて見える。
信長も秀吉の忖度には気づいているはずだった。
それでも家中の士気を優先し、何事もなかったかのように振る舞っている。
(勝家様なら何も考えずに勝っちゃうんだよね。
でも、そんな不器用な勝家様が私は……ああ、勝家様)
勝家様の雄姿を思い出し、だらしなく頬を緩めていた私を信長お兄様が見逃すはずはなかった。
「……市、何だその顔は。面白くない」
お祝いの言葉もそこそこに、上の空だった私の表情を見て、信長はそう吐き捨てた。
結局、相撲大会は妙な空気のまま、そこでお開きになってしまった。
(……最悪だ。完全に裏目に出た……)
信長お兄様の機嫌を取り、勝家様の評価を爆上げするはずの作戦が、
結果的に勝家様に恥をかかせ、信長お兄様も不機嫌にさせてしまうなんて。
一人、庭園の池の畔で、私は自責の念に駆られながら池の鯉に餌を投げ入れていた。
ぽつり、ぽつりと波紋が広がる水面を見つめ、深い物思いにふける。
「……ふっ、悲しい顔は似合わないぜ、子猫ちゃん(キラン)」
「――え?」
突然背後からかけられた、場違いなほどキザな声。
振り返ると、そこに一人の男が立っていた。
青空のように鮮やかな青髪を風になびかせ、
すらりと伸びた長い脚をこれみよがしに庭石に乗せている。
片手で羽織を肩にかけ、顎を少し引いてこちらを見下ろすそのポーズは――。
(……昭和だ。昭和のトレンディドラマで、
主演男優が夕暮れの埠頭とかでかっこつける時にやるやつだ……!!)
「戦勝の報を聞き、君の可憐な笑顔を見るためだけに遠江から駆けつけた。
……徳川家康だ。さあ、その涙の雫を、僕の胸で乾かすといい」
バサッと無駄に良い音を立てて羽織を翻す男、徳川家康。
前世のゲーム知識が脳裏をよぎる。
彼は見た目こそ超絶イケメンなのだが、中身が一昔前の、いや、数世代前の「致命的なキザ男」なのだ。
生まれる時代を間違えた男。
昭和の世なら銀幕スターになれたかもしれないが、令和の価値観(前世の私)から見れば、
ただの「ギャグ要員」である。
それでも、そのブレなさゆえに熱狂的なファンも多かった。
「さすが三英傑の一人、業が深い」とファンに生温かく見守られていたキャラクターだ。
「……はぁ、お遠くからご苦労様です、徳川殿」
ときめき? あるはずがない。
私の顔は、今、完全にチベットスナギツネのようになっていた。
「フッ、つれないね。だが、そんな警戒心の強い君もゾクゾクするほど魅力的だ。
僕の武勇伝を聞けば、その凍りついた心も、きっと真夏の太陽のように溶けてしまうさ。
例えばね、こないだの戦で僕は――」
家康はその後も、髪を掻き揚げながらひとしきり己の武勇伝を熱っぽく語り倒した。
私はただ「はぁ」「なるほど」と無感情な相槌を打ち続ける。
やがて一人で喋って満足したのか、家康は「また会おう、僕のシンデレラ」と言い残し、
風のように去っていった。
「……何だったんだ、一体……」
何とも言えない疲労感と、チベットスナギツネの表情のまま、私はその後ろ姿を見送った。
だが、私は気づいていなかった。
そんな私たちの様子を、少し離れた木陰から、じっと見つめていた人物がいたことに。
「…………」
柴田勝家は、泥に汚れた自身の拳を見つめ、静かに目を伏せた。
相撲で猿に無様な敗北を喫した己の不甲斐なさ。
そして、自分とは比べ物にならないほど華やかで、堂々と光り輝くイケメン大名・家康とお市の並び立つ姿。
(……やはり、俺のような泥臭い猪武者では、お市様の隣には立てぬのだ)
胸を切り裂くような劣等感と切なさに囚われた勝家様は、
私に声をかけることすらできず、寂しげに広い背中を丸めて、一人その場を去っていったのだった。
私の「推し存続計画」、最大のすれ違いの嵐が吹き荒れようとしていた。
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