第95話 光が落ちた日
自分を追い込めば、胸の奥をかすめた“あの靄”も、いずれ薄れる気がした。
レンセリオンは集中して剣を振るい、カイルはひたすら守りに徹していた。
刃が重なり、音が一度止んだ。
「……終わりですか?」
胸を撫で下ろすカイルの声が聞こえた。
レンセリオンは息を整え、手にしていた二本の剣のうち一本を武器棚へ戻した。
「いや。一本でいく」
そう言って構え直した――その瞬間。
頭上を、白い光の尾を引いて聖光竜ルクシオンが通り過ぎた。
ひと呼吸の間に、空気が変わった。
レンセリオンは無意識に剣を下ろし、光の軌跡を追って空を仰いだ。
「で、殿下? 続けるんですか? どうなんですか?」
カイルの声は、すでに耳に入っていなかった。
(……何だ、今の)
ルクシオンの軌道は、ただの飛翔ではなかった。
何かを“見つけて向かう”動き。
その視線の先を追って、レンセリオンの目が自然と下がった。
そして――
リリナの姿を見つけた。
こちらを向いたように見えた、その一瞬。
胸の奥が、強く揺れた。
「え!? 殿下、あれは……」
カイルが声を上げた。
(……なぜ、あの場所に?
そこは――人の背丈を優に越える高さがあるはずだ)
ルクシオンの影が上空を離れると同時に、
塀の上でリリナの金髪がふわりと舞った。
春光を受けたその髪がきらめいた瞬間、
レンセリオンの胸がざわりと震えた。
次の瞬間、握っていた剣が石畳に落ちた。
考えるより先に、レンセリオンは走り出していた。
「殿下!」
ルークとカイルも即座に反応し、後を追った。
その視線の先で――
リリナの姿が、ふっと消えた。
一瞬、思考が止まった。
だが足は止まらない。
走る速度だけが、さらに増していた。
レンセリオンの視線は、
リリナが消えた塀の向こうに固定されていた。
「上だ」
短く命じた。
二人が一瞬で役割を変えた。
「足場になります!」
カイルが声を張り、斜め前へ身を投げるように滑り込み、
踏み切る位置に身を屈めた。
レンセリオンは速度を落とさず、その背に片足を乗せた。
「ルーク!」
呼ぶより早く、ルークが横に滑り込み、
踏み切った足を下から支えようとした。
だが、その手が届くよりも先に――
レンセリオンの身体は、常の跳躍では届かぬ高さまで跳ね上がった。
ルークの手が空を切った。
だが、レンセリオンは気づいていなかった。
一気に塀の頂へ届き、縁を掴んで跳び乗った。
白い外套がひるがえり、陽光を反射して淡く揺れた。
レンセリオンは塀の上で片膝をつき、
必死に下を覗き込んだ。
その眼下に――
エリオンの腕の中に抱きとめられている、
リリナの姿があった。
胸が締めつけられるように震えた。
無事だと分かったはずなのに、
胸の奥で、別の熱が静かに残った。
背後でカイルたちが呼ぶ声がしたが、
レンセリオンの耳には届かなかった。
ただ一つの事実だけが、胸の奥に深く刻まれていった。
――“光が落ちた”その瞬間、
最初に動いたのは、
騎士としてでも、王子としてでもない――
リリナという一人の少女だけを見ていた、男の心だった。




