第96話 王子の対峙
騎士団本部、練兵場。
リリナの姿が消えた瞬間の光景が、まだ胸の奥に焼きついていた。
あの一瞬。
心臓を掴まれたような感覚が走った。
レンセリオンは武具棚から一本の剣を迷いなく選び、中央へ進んだ。
無事でよかった。
本当に――。
だが、武具棚から剣を取るエリオンの姿を見た瞬間、リリナを抱きとめていた光景が、脳裏によぎった。
そんなことは、今はどうでもいい。
むしろ、傷一つでもつけていたなら――
許さなかった。
練兵場の中央で、ふたりの王子が向かい合った。
「珍しく、感情的になっていますね」
エリオンは、いつものように落ち着いていた。
(エリオン……お前が俺をそうさせている)
高い塀にセレフィアの姫君を上げたのは、
俺に彼女の姿を見つけさせるためだったのか。
遠目でも、俺なら気づく。
そう考えたのだろう。
「……俺を、試すつもりか」
エリオンはすぐには答えず、柔らかく微笑んだ。
「考えすぎでは?」
その声音は静かだったが、言葉の奥には刃があった。
レンセリオンの眉がわずかに動いた。
(ただの思いつきだったのか。
そんなことで、セレフィアの姫君を危険な高さまで上げたのか)
「あの塀は、人の背丈を優に越える高さがある。
なぜ、そんな場所へ彼女を上げた」
声は冷静を装っていた。
だが、その奥にはかすかな揺れがあった。
「最悪の事態も想定した上で、安全は確保していました」
エリオンの声は静かだった。
「その保証はなかった」
「それだけですか?
……塀の上から、何が見えました?」
エリオンの口元がわずかに緩んだ。
レンセリオンの表情が、一瞬だけ引きつった。
(……そこは、今は関係ない)
乱れを断つように深く息を吸い、構え直した。
エリオンも同じように構えた。
「問題をすり替えるな。
俺は――お前の判断が正しかったのかを問うている」
ここは俺の国だ。
お前たちに何かあれば、責任を問われるのは――すべて、この国になる。
(お前は何を考えている。何を俺から引き出そうとしている)
レンセリオンは感情を押し込めるように、剣を握り直した。
刃が擦れる鋭い音。
次の瞬間、ふたりの剣がぶつかった。
レンセリオンの一撃は鋭く、真っ直ぐ。
対するエリオンの受けはしなやかで、力強い。
光と水――
二つの属性が交わるように、呼吸がぶつかった。
交錯したのは、ほんの数合。
剣の残響が響いた瞬間――
エリオンが低く問いを落とした。
「その正義で、本心を覆い隠すつもりですか。
……ほかに、何を隠しているのです?」
レンセリオンの肩がわずかに強張った。
目の奥に影が揺れた。
(本心……?
何のことだ)
この休む暇もない、感情の起伏。
説明しようのない、この感覚のことなのか。
(そうか……勘が鋭いお前のことだ。気づき始めているのか)
――ルクヴェルの影に。
「……知らなくていい」
震えを押し殺すような、短い一言。
エリオンの瞳が、何かを探るように細められた。
穏やかさはそのままに、その奥だけが鋭く光っていた。
(やはり……読まれている)
レンセリオンは、胸の奥がざわつくのを感じた。
触れられたくない場所に、手を伸ばされている感覚。
エリオンは何も言わない。
ただ、ほんの一瞬だけ揺れたその表情が、彼の疑念と推測のすべてを物語っていた。
静かに剣を下げると、エリオンは言った。
「……では、ここまでにしましょう」
レンセリオンも刃を伏せ、張り詰めていた気配がほどけていった。




