第86話 王子の祈り
まだ朝靄の残る頃。
城の北バルコニーに、ひとりの影が立っていた。
白銀の外套を羽織った、レンセリオン。
東の空から金の光が差し込むと、
彼は静かに胸へ手を添える。
風さえ息を潜めるような静けさの中で――
彼は、誰にも見せぬ祈りを落とした。
「光よ……
今日、私が間違わぬように」
その声は小さく、けれど確かだった。
まだ誰も知らない。
この祈りこそが、
彼を支える唯一の拠りどころであることを。
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バルコニーを後にすると、
王宮侍従のセリナが静かに控えていた。
「王子様。
本日、王立学院へ受講されるアクエリシアの王子が到着されます。
お出迎えの準備を。ライゼル様はすでに出発されました」
レンセリオンは頷く。
だが、ふと眉を寄せた。
「……ライゼル殿は、どなたを迎えに?」
「セレフィアの姫です」
その名が出た瞬間――
胸の奥が、わずかに揺れた。
「……そうか。今日、来られるのか」
父王が動く時、すべては速い。
迷う余地など、もう残されていない。
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ふと、視線を感じて顔を上げる。
セリナが、意味ありげに微笑んでいた。
「何だ」
「お会いできる機会は限られております。
――チャンスを逃してはなりませんよ、王子様」
まるで、すべてを知っているかのような口ぶり。
「……誰の伝言だ?」
「いいえ。小耳に挟んだだけです」
悪びれもせず答えるセリナに、
レンセリオンは小さく息を吐く。
「……王宮は騒がしい」
「殿下がルーク様やカイル様に伏せておられると伺いましたので。
いずれ私から伝えておきます」
「任せるよ。隠し通せることでもない」
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肩の力をひとつ抜き、
レンセリオンは静かに歩き出した。
彼の前には――
まだ知らぬ運命の光が、待っている。




