第324話 陽宴王
ざわめきが、再び、質を変えた。
杯の触れ合う音。
小さな笑い声。
料理の香り。
それらが、ふっと一段、低く沈む。
誰かが何かを告げたわけではない。
けれど確かに――
来るという気配が、場を満たした。
外環大宴殿の奥。
王の席へと続く通路に、影が差す。
「……王だわ」
ヴィオラが、ほとんど吐息のように言った。
次の瞬間、
太鼓が、低く一打――鳴る。
ゆっくりと、堂々と。
まるで宴そのものが歩いてくるかのように。
現れたのは、
日光をそのまま形にしたような男だった。
明金色の髪。
琥珀を溶かしたような橙の瞳。
胸元を大きく開けた、陽光をまとうような豪奢な装束。
甘い香が――香油か、焚きしめられた衣の匂いか、
遠くにいるはずなのに、ふわりと届いた気がした。
――ヴァルセイン・ラグディア・ソレイダ。
陽宴王。
「やあ、皆。今宵はよく集まってくれた!」
張りのある声。
よく通る、よく笑う声。
両腕を広げるだけで、
場がぱっと明るくなる。
「難しい話は抜きだ。
今夜は、飲んで、食べて、語ろう!」
「人生を楽しむことこそ、
我ら焔国の勇気なのだから!」
笑い声が起こる。
拍手が広がる。
杯が掲げられる。
――王は、楽しそうだった。
その姿を見た瞬間、
リリナの胸の奥で、何かが、かちりと音を立てた。
(……この人……)
記憶の底から、光景が浮かび上がる。
――幼い頃。
緊張で固まっていた自分に、
屈み込んで目線を合わせてくれた人。
「そんなに怖い顔をしなくていい。
今日は宴の日だよ」
あの笑顔。
そして――今、目の前にいる王の笑顔。
(……同じだ)
変わっていない。
少なくとも、表情は。
けれど。
(……あれ?)
胸の奥に、ほんの小さな違和感が落ちる。
あの頃の声は、
もっと“静かな温度”を持っていた気がする。
今の王の声は、明るい。
けれど、どこか――
笑いで、何かを覆っているような声だった。
王は神殿役人たちへ視線を送る。
「さあ――灯そうか」
合図ひとつ。
白衣の神殿役人が一斉に跪く。
中央の祭壇へ、聖火壺が捧げられる。
「太陽の名のもとに。
王の前に、制御された焔を――」
祭具の火が、壺へと触れた。
その瞬間――
――光が、咲いた。
白に近い焔が、
これまでとは明らかに違う“格”で立ち上がる。
熱ではない。
眩しさでもない。
――支配され、祝福された火。
外環の炎壺が、それに応えるように揺れた。
「ははっ、見事だ!」
王は満足そうに笑い、杯を掲げる。
「今宵の聖火に、感謝を!
そして、我らの宴に――乾杯!」
歓声。
杯の音。
宴は、完全に動き出した。
その中で――
聖火とは別の場所で、
ふっと、空気の温度が変わる。
炎ではない。
けれど確かに――
“火を呼ぶ気配”が、どこかで息をした。




