第323話 灯りと杯
ざわめきが、ふと、揃った。
音が消えたわけではない。
ただ、人々の意識が同じ方向へと引き寄せられたのだ。
外環大宴殿の外縁に並ぶ炎壺の前へ、
白衣を纏った神殿役人たちが、静かに進み出る。
中央の舞台へと続く大きな空白に、
自然と視線が集まっていく。
「……始まりますわね」
隣で、ヴィオラが小さく囁いた。
「焔国の宴ではね、まず“聖火を迎えるための火”を整えるの」
穏やかな声音で、彼女は続ける。
「ただの合図じゃないわ。
“ここからは王を迎える場です”――そう、空気に知らせるための儀式なの」
神殿役人の一人が、祭具の火を掲げる。
次の瞬間――
――ひとつ。
炎壺の底で、火が目を覚ました。
音はない。
けれど確かな存在感をもって、
白に近い焔が、静かに立ち上がる。
――ふたつ。
――みっつ。
炎壺が、順に応えていく。
赤でも、橙でもない。
澄んだ、焔国特有の――
“制御された白い火”。
(……きれい)
思わず、息が零れた。
火が増えるたび、
空気が、少しずつ変わっていく。
熱ではない。
緊張とも違う。
――場が、整えられていく感覚。
「聖火そのものは、王がお出ましになってから灯されるの」
ヴィオラの声は変わらず穏やかだ。
「今の火は、そのための準備。
燃え広がらず、奪わず、
必要な分だけ、そこに在る――
焔国が理想とする“火のあり方”そのものよ」
リリナは、炎から目を離せずに頷いた。
「……ただ派手なだけじゃ、ないんですね」
「ええ」
ヴィオラは微笑む。
「焔国は、見せる国でしょう?
強さも、秩序も、威厳も――
すべて“形にして見せる”のが好きなの」
やがて、給仕たちが動き出した。
音も立てず、流れるように、
卓へ料理が運ばれてくる。
香ばしい焼き物。
彩りの良い前菜。
火を通した濃い香り。
(……おいしそう)
そう思った瞬間――
給仕が、リリナの前にグラスを置いた。
琥珀色の液体。
――酒。
リリナの肩が、ぴくりと強張る。
(……え)
視線が落ちる。
その変化を、ヴィオラは見逃さなかった。
「あら……」
やさしく、しかし即座に。
「こちらの方には、アルコールは控えていただけるかしら」
給仕が一瞬、戸惑い――すぐに頭を下げる。
「かしこまりました」
「果実水か、薄めた蜜水で。冷たいものを」
迷いのない指示だった。
グラスが下げられ、
ほどなく淡い色の果実水が運ばれてくる。
(……助かった)
「ありがとうございます……」
「いいのよ」
ヴィオラは満足そうに微笑む。
「無理に合わせる必要はないわ。
宴は“楽しむため”のものなんですもの」
少し間を置いて――
「こういう場はね、
強い人より、“気づく人”のほうが生き残るのよ」
やわらかな声音。
けれど、その言葉はどこか意味深だった。
リリナは頷きながら、炎へ視線を戻す。
炎壺の炎は、すでにすべて灯されている。
宴は、静かに、確実に、動き出していた。
そして――
その“安心”は、あまりにも自然に、
リリナの中へと入り込んでいた。
(……大丈夫)
そう思えたこと自体が、
ほんの少しだけ――
不思議だった。




