第321話 絹紐の意味
王宮へと続く大通りは、磨かれた石畳が白く光り、
両脇には赤い旗が静かにはためいていた。
その道を、リリナは一人、歩いていた。
正面には、夕刻の光を受けた王宮の白壁。
淡い黄金色に染まりながら、静かにそびえている。
近づくほどに空気は張り詰め、
城壁の前では銀の槍を携えた兵たちが、寸分の乱れもなく列を成していた。
(……空気が、違う)
無意識に歩みを緩め、
リリナは胸の前でリュックの肩紐をぎゅっと握る。
「止まれ」
正門前。
交差した槍が、行く手を遮った。
値踏みするような視線。
リリナは慌てて、招待状を差し出す。
門番の兵が紙面を確認し、
隣の兵と短く視線を交わした。
「……確認済み。通せ」
槍が音を立てて左右に開かれる。
(……すごい。あっさり……)
拍子抜けするほど簡潔なやり取りに目を見張りながら、
リリナは一歩を踏み出した。
中へ入った瞬間――空気が変わる。
白壁に囲まれた広い中庭。
整えられた植え込み、噴水の水音、行き交う使用人と兵士たち。
すべてが、低く、規則正しく動いていた。
(……これが、王の領域)
胸の奥で、息を詰める。
そのとき。
ひとりの王宮奉仕官が、静かに歩み寄ってきた。
整えられた立ち姿。
視線は低く、しかし迷いがない。
「恐れ入ります。席へのご案内のため、こちらを」
差し出されたのは――一本の紐だった。
細い絹の紐。
淡く光を吸うような色合い。
装飾というには、あまりにも控えめすぎる。
「……え?」
問い返す間もなく、奉仕官は自然な所作でリリナの手首を取り、
その紐を、くるりと巻いた。
ほどよく柔らかく、ほどよく締まる。
結び目は、無駄なく美しく整えられていた。
「こちらへ」
奉仕官は、王宮の内側を巡る回廊へとリリナを導いた。
すでにその人は、振り返ることもなく半歩先を歩き始めている。
選ぶ余地はない。
リリナは一度だけ手首の紐を見つめ、
小さく息を吸って、その背を追った。
――説明は、ない。
ただ“流れ”だけがある。
⸻
回廊を抜ける。
白い柱が連なる通路。
高い天井。
足音は、吸い込まれるように消えていく。
磨き込まれた床に、夕刻の光が斜めに差し込み、
影が長く伸びていた。
やがて、視界がひらける。
思わず、息を呑んだ。
外環大宴殿――
それは「広間」という言葉では足りない空間だった。
中庭を抱くように設えられた、半屋外の大宴殿。
高く開かれた天井の向こうには、燃えるような夕空。
外縁には、無数の炎壺が等間隔に並んでいる。
まだ灯されていないはずの炎壺からも、
かすかに熱だけが漂っていた。
長卓が幾列にも並び、
深紅の布と金糸が、静かに光を返す。
その向こうには、すでに集まり始めた賓客たち。
色とりどりの衣装。
宝石のきらめき。
低く交わされる声と、抑えられた笑い。
(……人、こんなに……)
視線を巡らせるだけで、胸が詰まる。
段差のついた座席配置。
中央には舞台へと続く大きな空白。
そして――最奥。
王の席。
まだ誰も座っていないはずなのに、
そこだけが、すでに“見られる場所”として完成していた。
(……ここで、舞うんだ)
焔の舞手が。
あの炎の中で――。
⸻
気づけば、周囲の音が遠くなる。
奉仕官は迷いなく進み、
リリナはただ、その背を追うしかなかった。
手首の絹紐が、歩くたびにわずかに揺れる。
(……戻るって、言える雰囲気じゃない)
振り返っても、来た道は人の流れに溶けている。
どこから来たのかさえ、もう分からない。
案内という名の流れは、
ゆっくりと――確実に、奥へと進んでいく。
リリナは、知らず息を詰めた。
――ここは、宴の場。
けれど同時に、
選ばれた者だけが立ち入る――逃げ場のない“舞台”でもあった。




