第32話 心に映るもの
講義が終わると、レンセリオンは席を立った。
「では、私はこれにて失礼します。」
短く礼をし、すっと背筋を伸ばして歩き出す。
扉を出る瞬間、ふと視線が重なった気がした。
(……行ってしまった……
なかなか、お話できない……)
少し胸が沈んだ、そのとき。
横顔を見ていたエリオンと目が合う。
先ほどの「神獣が違う問題」を思い出して、
リリナは慌てて本を開いた。
「これ、ありませんよね?」
ルクシオンのページを指さし、細いヒゲをなぞる。
エリオンは吹き出した。
「はい。僕も同じことを思いましたよ。」
声が柔らかくて、リリナは思わず笑った。
(やっぱり……)
安心と嬉しさが胸に灯る。
次のページを開き、
セレーネの絵をエリオンに示す。
エリオンは、また首をゆっくり横に振った。
「どこが違うんですか……?」
リリナが聞くと、エリオンは微笑んだ。
「セレーネは竜ではありません。」
「えっ……!?」
絵を見つめて固まるリリナに、
エリオンは水面のように静かに言った。
「竜ではなく、“氷鱗を纏う鯨”です。
静かに水底を巡る――アクエリシアの守護者。」
「……鯨……。
確かに、“氷鱗の鯨・セレーネ”って書いてあるのに……」
困惑するリリナを見つめながら、
エリオンは、ふっと目を細める。
「でも……誰かが竜に見えたのなら。
それも、ひとつの真実ですよ。」
「……真実?」
「真実とは、“見たもの”よりも、
“心に映るもの”です。」
その言葉に、リリナの胸がぽっと温かくなる。
「だから、竜を描いても祈りを歪めたとは思いません。
それもまた――水の流れのひとつ。」
エリオンがそう言い終えた瞬間、
パサ……と、
窓辺で金色の羽が揺れた。
黎光鳥アウルの羽。
光に溶けるように舞い落ち、
ふたりの会話をそっと祝福するようだった。
リリナは思わず羽を見つめる。
エリオンも小さく笑っていた。




