第310話 すれ違う鼓動
アクエリシアの紋章を掲げた、王族専用の馬車の中で。
エリオンは、言葉を失ったまま座っていた。
リリナが自分の前から姿を消してから、
過ぎる一日さえ、胸を締めつける痛みに変わった。
ちゃんと食べているだろうか。
ひとりで、心細い思いをしていないだろうか。
――リリナ。
名を呼びたい衝動を、胸の奥に押し込めた、そのとき。
馬車が、大きく揺れて止まった。
「っ……!」
前のめりになり、思わず座席に手をつく。
外から、御者の慌てた声が聞こえた。
「も、申し訳ありません!
人が急に飛び出してきまして……!」
エリオンは反射的に窓布へ手を伸ばした。
ほんのわずか、隙間を開ける。
その一瞬――
視界に飛び込んできたのは、金色の髪。
リュックを抱えた、少女の横顔だった。
(……リリナ?)
思わず、身を乗り出す。
だが、次の瞬間。
理性が、冷水のように胸を打った。
伸ばしかけた指が、宙で止まる。
……違う。
そんなはずがない。
今の自分は、
金色の髪を見ただけで、すべてが彼女に見えてしまう。
エリオンは、そっと窓布を閉じ、深く息を吐いた。
――落ち着け。
それでも、手がかりはあった。
リリナによく似た少女を、
観光客向けの馬車がルア=ソレルの外門付近で下ろしたという証言。
それを追って辿り着いたのが、この街だった。
エリオンは、膝の上に広げていた紙を見下ろす。
画家に描かせた、リリナの似顔絵。
驚くほど、よく似ている。
けれど――
足りないものは、温度だけだった。
指先で、描かれた頬にそっと触れる。
「……待っていてください」
呟く声は、誰にも届かない。
レンセリオンは、街の外縁を。
自分は、王族として招かれ、火の頂へ続く大通りを。
太陽祭の人波に紛れながら、
それぞれが、別の場所で彼女を追っている。
――そして。
黒月の影は、すでにルクヴェルを飲み込んだ。
次に狙われるのが、
ここソレイダであっても、不思議ではない。
混乱が起きる前に。
闇が広がる前に。
エリオンは、拳を静かに握った。
必ず、リリナを見つけ出す。
それが、
王子としての責務であり――
ひとりの男としての、切なる願いだった。




