第306話 火を携えて
聖炎大神殿で分けられた炎壺を載せた小さな馬車は、
ルア=ソレルへ続く街道を静かに進んでいた。
ミラは炎壺のそばに座り、
両腕でそれを支えるように抱えている。
レイヴは向かいに座り、
窓の外へ流れる赤土の道を見ていた。
やがて、ルア=ソレルの外門が見えてくる。
火の頂へ続く道の前で馬車を降りると、
ミラは炎壺を抱え直し、淡々と歩き出した。
「……いい加減、ひとりで行きなさいよ」
前を向いたまま、ぽつりと告げる。
「私はもう嫁いだ身。
巫女でも、聖域の人間でもないわ」
「……うん」
短く返すと、レイヴは足を止めた。
振り返り、ソル=アルテの方角へ目を向ける。
遠く、ヴァルカノの赤光が、
空の端にまだ淡く残っていた。
火は、変わらずそこにある。
燃えすぎることもなく、
消えようとすることもない。
――温度を保ったまま。
小さく息を吐き、
レイヴは再び歩き出す。
⸻
しばらく、沈黙が続いた。
「……で」
ミラが、ちらりと横目で弟を見る。
「あの子と、交熱したの?」
レイヴは一瞬だけ視線を向け、半笑いを浮かべた。
「……俺を管理するのは、やめてくれ」
「はいはい」
ミラは肩をすくめる。
「火を受け取りに行くのには、私を連れてくるくせに。
でも自分の話はやめてくれ、って?
……ずいぶん都合がいいわね」
レイヴは、思わず小さく笑った。
ミラが、じっと顔を覗き込む。
――答えを待つ目。
観念したように、レイヴが口を開く。
「……交熱、した」
その瞬間――
ミラの足が、容赦なく脛に入った。
「ちょっ――! 火が消えるだろっ!」
慌てて炎壺を覗き込むレイヴ。
炎は、変わらず灯っている。
「……っ」
安堵の息。
そして、小さくため息をついた。
「交熱のイメージが悪いのは、姉さんのせいだ」
ミラはくすくすと笑う。
「そこまで考える相手なら――」
ほんのわずか、声がやわらぐ。
「もう、その布をほどく時でしょう?」
顎で示され、レイヴは自分の左手を見る。
布の下にあるもの。
神獣ヴァルガンに選ばれた、誇りの印。
かつて、答えを持つのは
“過去のあの子”だと思っていた。
最初に炎が応えた、名も知らぬ少女。
――けれど。
エルに出会った。
理由のない引力。
護れる、と本能が告げる感覚。
燃やす相手ではなく——
燃え続けたい相手。
レイヴは、静かに布をほどいた。
露わになった炎紋が、淡い光を受けて浮かび上がる。
ミラは満足そうに微笑み、ひとつ頷いた。
「……行きなさい、焔の舞手」
その声は、姉であり――
かつて巫女だった者の、
炎を送り出す言葉だった。




