第304話 夜に灯るもの、消えない予感
「……そろそろ、寝よっか?」
レイヴがソファの下へ手を伸ばした。
かちり、と小さな留め具の音がする。
次の瞬間、背もたれがゆっくり後ろへ倒れ――
「きゃ……っ!」
視界がひっくり返り、リリナは仰向けのまま固まる。
レイヴが楽しそうに笑った。
「もうっ……!」
起き上がりざま、思わずレイヴの腕をぺしっと叩いた。
レイヴは悪びれもせずに笑い、倒れた背もたれを指で叩いた。
「実はこれ、寝台にもなる」
「それなら、もっと早く言ってよ……!」
そう言いながらも、どこか可笑しくて、文句の語尾が弱くなる。
「エルのその顔、見たかったんだよ」
「……いじわる」
そう言いながらも、リリナは小さく笑ってしまう。
⸻
レイヴは照明を落とした。
部屋は一気に暗くなり、輪郭だけが溶けていく。
すぐ近くにいるはずなのに、姿が曖昧になる。
「……レイヴ、ここ?」
そっと手を伸ばすと、指先が彼の肩に触れた。
「ここにいるよ」
そう言って、手を取られる。
指先から、ぬくもりが伝わった、そのとき――
テーブルの上で、キャンドルの芯がかすかに音を立てた。
ふっ、と小さな火が灯る。
「……あ」
レイヴは、ちらりと火を見やっただけだった。
炎は控えめに揺れ、部屋をぼんやりと照らした。
まるで、消えかけていた火が
もう一度だけ息をしたみたいだった。
レイヴは上半身を起こし、こちらを覗き込む。
「明日も、舞うの?」
リリナがそう聞くと、彼は一度だけ頷いた。
「明日から、火の頂だ。王城に呼ばれてるんだ」
「……王城?」
「王の宴が始まる。そこで舞うことになっててさ」
言葉が、少しだけ遅れた。
「……じゃあ、ルア=ソレルの太陽祭は?」
「どうもしないよ。巫女が舞う。俺がいないだけ」
そう言われて、言葉を探す。
「……そうなんだ」
声が、少し沈む。
「……少し、寂しいかも」
レイヴが、わずかに眉を寄せた。
「……なんで?」
「だって……」
探るように、視線が重なる。
「屋敷には、寝に帰るよ。それにさ、太陽祭が終われば、俺、こんなに忙しくないし」
そう言われても――
胸の奥の寂しさは、簡単に消えてくれなかった。
(私は、旅人だ)
ここに、ずっとはいられない。
こうしている間にも、黒月は近づいているかもしれない。
「……レイヴの探してる人、見つかるといいね」
それは、願いの形をした言葉だった。
――同時に、自分がここにいない未来を、先に置いてしまうような。
「……そんなふうに言わないでくれ」
レイヴの声が、少し低くなる。
「……そういうこと、言わせたくて話したわけじゃない」
胸が、きゅっと痛んだ。
リリナは視線を逸らす。
「……ごめんなさい」
それ以上、目を合わせられなかった。
優しいから――
余計に、傷つけたくなかった。
キャンドルの火が、静かに揺れる。
燃え上がることはなく、
ただ、そこに灯っていた。
⸻
翌朝、目を覚ますと、レイヴの姿はもうなかった。
テーブルの上に、一枚のメモが残されている。
――
ねがおみた。かわいかった。
――
その隣には、小皿にのった卵。
手に取ると、ずしりとした重みがあって、
それがゆで卵だと分かった。
まだ、ほんのり温かかった。
殻付きのその卵には、
目と口が描かれていて、
目を閉じたまま、
眠っているみたいだった。
リリナは思わず吹き出した。
「……レイヴ……」
胸の奥が、きゅっと温かくなる。
ふと、メモをもう一度見つめる。
文字は少し歪んでいて、
急いで書いたのが分かる。
――本当のこと、話そう。
今夜。
もう一度、ここに来よう。




