第301話 余熱と、ゆで卵ちゃん
レイヴの姉、ミラ・アレスタが屋敷を後にしたあと。
ふたりの間には、
さっきまでの熱とは違う、
少しだけ居心地の悪い沈黙が流れていた。
けれど、完全に冷えたわけでもない。
部屋の中には、まだ――
香の匂いが、かすかに残っている。
「……台無しにして、ごめん」
先に口を開いたのは、レイヴだった。
慌てて、リリナは大きく首を横に振る。
「ううん。面白いお姉さんだね?」
そう言うと、レイヴは一瞬きょとんとしてから、苦笑した。
「……それに、弟想いで、素敵だと思う」
その言葉に、レイヴの表情がわずかに変わる。
「姉さんをそんなふうに言う女の子、初めて会った」
可笑しそうに笑って、肩をすくめた。
「みんな、大体嫌ってるよ」
「そうなの……?」
「ああ。遠慮がないし、言いたいこと全部言うからさ」
リリナは思わず笑ってしまう。
「……ゆで卵ちゃん、だもんね」
その言葉に、レイヴがすぐに距離を詰めてきた。
「それはほんと、悪かった」
申し訳なさそうに言ってから、少し照れたように視線を逸らす。
「気にしてないよ」
リリナは微笑んだ。
「そんなふうに呼ばれたこと、なかったから。びっくりしただけ」
顔を見合わせて、ふたりで小さく笑う。
「……でも」
リリナが続ける。
「ゆで卵ちゃんって、なんだか可愛いね」
レイヴは一瞬黙ってから、
耐えきれないように吹き出した。
⸻
テーブルの上のぶどうに手を伸ばしながら、
レイヴがぽつりと話し出す。
「……俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ」
皮を剥きながら、視線は落としたまま。
「だから、姉さんに育てられたようなもんでさ。頭、上がらない」
一瞬だけ、部屋が静かになる。
「そうだったんだ……」
リリナは、その手元を静かに見つめる。
「でもさ」
レイヴは苦笑した。
「エルの前で家訓持ち出されるとは思わなくて……恥ずかしくて、つい」
そのまま、剥いたぶどうをリリナの方へ差し出す。
一瞬迷ってから、
目を合わせて、そっと手で受け取った。
そのまま口に運ぶ。
レイヴは、どこか楽しそうに笑って、
また次のぶどうの皮を剥く。
「姉さん、料理は上手いけど……」
少し間を置いて、
「灰鍋亭は兵士の溜まり場だからさ。無視していいよ」
差し出されたぶどうを、もう一つだけ受け取る。
けれど、胃袋はすっかり満たされていた。
「……お腹いっぱい」
そう言うと、レイヴの手が止まる。
もぐもぐしているリリナを、
じっと見つめてくる視線。
恥ずかしくなって、噛む速度を落とすと、
レイヴが可笑しそうに笑った。
少しだけ間が空く。
それから――
「……今夜、泊まってく?」
「え?」
リリナは慌てて首を横に振る。
レイヴは、わずかに笑った。
「帰したくないな」
からかうように、
でもどこか本気を隠さない声で、
「……ゆで卵ちゃん」
そう言って、膨らんだ頬を指でぷにっと押される。
「……!」
リリナは慌てて顔を背けた。
胸の奥が、またトクトクと音を立てる。
火はもう、落ち着いているのに――
ぬくもりだけが、静かに残っていた。




