第290話 知らぬまま、火を渡して
ソレイス夫妻の家に戻ると、
ミレナとアランは卓を囲んで、屋台料理を広げた。
香ばしい匂いが、部屋いっぱいに満ちていく。
太陽祭の夜の熱が、まだ指先に残っていた。
「太陽祭、楽しめたかい?」
ミレナにそう聞かれて、
リリナは嬉しそうに頷く。
「舞を見ました!」
「ハル=セラたちが舞う、陽炎の舞だね」
ミレナが、やわらかく微笑む。
「太陽神と神獣ヴァルガンへの感謝を表す舞よ。
明るくて、力強かったでしょう?」
「あの舞……陽炎の舞だったんですね」
興味深そうに頷くリリナに、
アランも楽しげに言葉を添えた。
「焔の輪を囲んで踊ると、
“自分の中にも火がある”って信じられるようになるんだ」
「火は誰かのものじゃない。
みんなの中で燃えているんだ、ってね」
「そうなんですね……」
「エルは、踊ってみたかい?」
ミレナにそう聞かれて、
リリナは首をぶんぶんと横に振る。
「どう踊っていいのか、分からなくて……」
「そんなもの、隣の人を真似すればいいのよ」
ミレナは楽しそうに笑う。
「エルも、自分の中にある火を感じてごらん」
――自分の中に、ある火。
ふと、あの舞が脳裏をよぎる。
「あの……さっき“ハル=セラ”って言ってましたけど、
ハル=セラって……?」
「“陽の家(ハル=セラ)”の巫女たちのことさ」
アランが答える。
「王族に次ぐ聖職の一族でね。
祈りと舞で、この国を護る者たちだよ」
「じゃあ……」
胸が、きゅっと鳴る。
「“焔の舞手”も……?」
アランが当然のように頷いた。
「アレスタ家の者だな。
現神官長のご子息――レイヴだろ?」
リリナは、こくりと頷いた。
……やっぱり、すごい人だったんだ。
「どんな人ですか?」
そう尋ねると、
ミレナが「おや」と、わずかに表情を変えた。
リリナは慌てて手を振る。
「い、いえ! そういう意味じゃ……」
「隠さなくていいわよ」
ミレナは、くすっと笑う。
「祭事でレイヴの舞を見たら、
しばらく他のことが頭に入らなくなるもの」
「あの舞はね――神がかってるのよ」
……確かに。
私も、その一人だった。
そう思った、そのとき。
ミレナの視線が、ふとリリナの手首に落ちた。
「そのブレスレットは?」
「えっ……あ、これですか?
えっと……預かりました」
「預かる? 誰のだい?」
一瞬、言葉に詰まる。
「……レイヴさんのです」
ミレナとアランが、顔を見合わせた。
「レイヴと交熱したのかい?」
「えっ!?」
リリナは慌てて首を振る。
「ち、違います!
ミレナさんの言った通り、視線は逸らしました!」
ふたりは再び目を合わせてから、
静かに言った。
「エル……分かってないね」
アランが続ける。
「目を逸らさず見続けた者が、“熱を贈った側”。
受け取った者は、それに“熱を返す”のが礼儀なんだ」
リリナの心が、大きく揺れる。
「舞を見たって言ってたけど……
エル、見てたのはレイヴだろ?」
戸惑いながらも、頷く。
ミレナが、そっとブレスレットを指さした。
「形は人それぞれだけど――
レイヴは、ちゃんと“熱を返してる”」
そして。
やさしく、けれどはっきりと告げる。
「……つまりね」
一拍、置いて。
「熱を贈ったのは、エル。
あなたのほうよ」
言葉を失った。
――いつの間に、そんなことに。
確かに、見ていた。
何度も、何度も。
でも――それだけなのに。
「でも……これは、明日返してって……」
戸惑いながら言うと、
ミレナは楽しそうに笑った。
「ソレイダの男を知る、いい機会じゃない」
「しかも相手がレイヴだなんてね」
アランも、苦笑混じりに肩をすくめる。
「本当に……面白い子だよ、エルは」
リリナは、そっと手首に視線を落とした。
重ねられた、ふたつの輪。
火の光を受けて、静かに揺れている。
――また、会ってもいいのかな。
胸の奥に残る、名前のつかない熱。
それを――
確かめたいと、思っている自分がいた。




