第286話 火に触れる夜
日は沈み、空は深い藍へと染まっていた。
ルア=ソレルは、“太陽祭の夜”を迎えている。
昼の熱を抱いたまま、夜の風が頬を撫でた。
通りには、赤や金をあしらった衣装の人々があふれ、
笑い声、手拍子、火花がはぜる音が、夜気に溶け込んでいく。
屋台から立ち上る香ばしい煙が鼻先をくすぐり、
甘辛い匂いに、自然と足が止まる。
ソレイス夫妻に頼まれた品を探しながら、
リリナはきょろきょろと視線を巡らせる。
串に刺されたスパイス肉。
焦がしバターをたっぷり塗ったとうもろこし。
果実の蜜煮を挟んだ、平たい焼き菓子。
(私は……何を食べようかな)
胸が弾む。
けれど、それ以上に――
リリナの耳に、そして胸の奥に、
まっすぐ届いてくるものがあった。
太鼓の音。
低く、乾いた響き。
地の底から響いてくるようで、心の奥が揺れる。
(……なに、この音……)
呼吸と同じ速さで、胸に落ちてくる。
「お嬢さん?」
屋台の声に、はっと我に返る。
「スパイス肉を、二つください」
ミレナと同じもの。
紙袋を受け取り、続けて焦がしバターのとうもろこしも買う。
それでも――
鼓の音は、絶えず鳴っていた。
気づけば、その音に導かれるように、
リリナは人の流れへと、そっと身をゆだねていた。
空を見上げると、星がひとつ、またひとつ。
無数の灯りが揺れる中、ふいに風が吹いた。
その瞬間――
音が、胸の奥へ“落ちてきた”。
角をひとつ曲がった先で、視界がひらける。
広場だった。
焚き火が幾つも並び、
人々は手を取り合い、輪になって踊っている。
太鼓が鳴り、笑い声が夜に弾けていた。
そして、その輪の中心。
火の影の中に――
ひとりの青年が、燃えるように舞っていた。
裸足で砂を蹴り、赤金の衣をまとう青年。
橙の布が身体に巻きつき、動くたびに熱風のように翻る。
引き締まった二の腕には重厚な腕輪。
手首には細い金の飾りが揺れ、焚き火の光を跳ね返す。
細身だが、しなやかに鍛えられた身体。
跳ねる。
回る。
滑る。
次の瞬間には宙で身をひねり、軽やかに着地する。
その脚さばきは――
まるで風をまとっているかのようで、
腰布が舞うたび、火の粉が散って見えた。
太鼓が、深く鳴る。
それに合わせ、彼はさらに加速する。
(……なに、この人……)
目が、離せなかった。
周囲の誰もが踊り手を見ていた。
けれど、リリナには――
彼だけが、“浮かび上がって”見える。
炎の中から。
焚き火の明かりが、彼の髪を赤銅に染める。
跳ねる髪の隙間から、ふと――
視線が、重なった。
(――え)
一瞬。
彼は、確かに――笑った。
太陽のように明るくて――
けれどどこか、挑むような笑み。
――知ってる顔じゃない。
――おいで。
――見ててよ。
言葉はなかった。
それでも、確かに“そう言われた”気がした。
それは――
火に、触れた瞬間だった。




