第279話 黎火祭の舞台
午前の光が、石畳を照らしていた。
ルア=ソレルの南側に開かれた祭広場――〈光門広場〉。
“黎火祭”のため、広場中央には
舞台が組み上がり、最終の調整が進められている。
「……ここが、舞う場所か」
レイヴは腕を組み、足で敷石を軽く蹴った。
その感触を確かめるように。
石の下から、地脈の熱がじんわりと伝わる。
「思ったより狭いわね」
隣でミラがつぶやく。
「王族席を近くに設けるから、奥行きが削られるのよ」
「……火が暴れたら、観客も燃えるな」
何気ないようでいて――
その声には、わずかな硬さが混じっていた。
昨夜の失敗が、脳裏をよぎる。
「あんたらしくもないわね。こわくなったの?」
ミラが、からかうように笑う。
レイヴは鼻で笑い、視線を舞台へ戻した。
敷石に刻まれた太陽紋が、光を弾いている。
王の演説。儀式。そして祭の開宴――
そのすべてが、この広場から始まる。
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人々が忙しなく動き回っていた。
布を張る者。香を焚く者。火皿を磨く者。
その中央で――
紅の衣を纏った若い男が、静かに指示を飛ばしている。
「そこの灯は、もう少し右。……そう、太陽の角度に合わせて」
声は柔らかい。
だが、誰も逆らわない。
ソレイダ王国 典礼官――アゼル・ファルマード。
祭礼と王の宴を取り仕切る、“炎宴官”。
彼の周囲には、不思議な緊張と甘い空気が漂っていた。
命令でも威圧でもない。
――断れない笑顔。
それだけで、すべてを思い通りに動かしていく。
「王は“完璧な朝”をお望みだ。影ひとつ、落とさないように」
その一声で――
広場全体が、再び息を吹き返したように動き出す。
太陽が頂を越える前に、
街はすでに祭の熱で満ちていた。
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レイヴとミラは、少し離れた場所からその光景を眺めていた。
「相変わらず……ずいぶんと威張ってるわね、あの男」
ミラが顎を引き、紅衣の青年を目で追う。
レイヴは苦笑し、声を潜めた。
「宴の場では絶対的な権力者だろ。
炎宴官様の意思は――“王の意思”だ」
その皮肉に、ミラも思わず笑みをこぼす。
扇で口元を隠しながら、小さく囁いた。
「来るわ。いい顔しなさい」
レイヴも表情を整える。
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アゼルが、軽やかに歩み寄ってきた。
まるで、舞台に上がる直前の演者のように。
「おや……これはこれは」
声は、陽光を含んだように柔らかい。
「お美しいお方。今日も陽光が嫉妬するほどに――
ミラ・アレスタ様」
「ふふ。……お世辞は、香より軽いですわ」
ミラは微笑みながら返す。
その応酬に、アゼルは愉しげに目を細めた。
「それでも香は残ります。
――貴女の美しさのように」
そのやり取りに、ぞわっとするレイヴ。
笑いをこらえ、顔を背ける。
ミラは扇を軽く傾け、一礼した。
「恐縮です、アゼル殿。
……見事な采配でございますね」
「お褒めにあずかり、光栄です」
わずかに微笑む。
「王の御心が乱れぬよう――
せめて火だけは、穏やかに灯しておきたくて」
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その視線が、ゆっくりとレイヴへ向く。
「――アレスタ家の“火”が舞うと聞き、
皆、胸を高鳴らせております」
その瞬間。
レイヴの表情が、わずかに硬くなった。
アゼルの視線が――一瞬だけ、
左手の甲の印へと流れる。
「どうか、炎が暴れませんように」
やわらかな声音。
「燃やすのは――民の心だけで」
一拍置く。
「王も、若き太陽の舞を楽しみにしておられます」
その目が、一瞬だけ真剣に光を測る。
だがすぐに――社交の微笑へ戻った。
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唇を噛むレイヴ。
昨夜の噂は、すでにここまで届いている。
軽く頭を下げる。
「ご期待に添えるよう、努めます」
アゼルは一礼し、
再び紅の群れの中へと戻っていった。
命令するでもなく――
誰もが彼の指先ひとつで動いていく。
(……ああいうのを、“火を扱う”って言うのか)
ふと、そんな考えが胸をよぎる。
だが――
レイヴの中の火は、まだ静まらない。
もっと遠く。
もっと強く。
何かが――呼んでいる。
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その背を見送りながら、ミラが扇を閉じた。
「……あの男は、人を燃やすのが上手いわね」
小さく息を吐く。
「レイヴ。挽回のチャンス、逃すんじゃないわよ」
「分かってる」
短く返すと、レイヴは歩き出した。
「どこへ行くのよ。あと少しで本番よ」
呼び止めるミラ。
レイヴは足を止め、振り返らずに言う。
「少し……一人にさせてくれ。時間には戻る」
ミラは、短く息を吐いた。
その吐息は、火の粉のように陽光に散り――
静かに消えた。




