第277話 燃やすものを選べ
巫女たちが祈りの器を片付け、
金属のかすかな音が遠のいていく。
静寂の残る聖炎大神殿には、まだ黎火が揺れていた。
その橙の明滅の中――
父サリエルが、ゆっくりと息子へ歩み寄る。
焔を背にしたその影は、
まるで光そのものが形を取ったかのようだった。
「……おまえの火は、誰のために燃えている?」
黎火が、息を飲むように揺れた。
突然の問いに、少年は一瞬だけ戸惑う。
だが――すぐに答えた。
「生きるために、燃えてます。」
サリエルは、すぐには返さない。
ただ黎火を見つめたまま、
その光の奥に何かを探すように、静かに言葉を紡ぐ。
「ならば――その命が、誰かを焦がすときも……同じことを言えるか。」
レイヴは、息を呑んだ。
言葉を返そうとして――喉が詰まる。
(焦がす……? 誰かを?)
そんなつもりは、ない。
ただ――燃えたいだけだ。
誰よりも、まっすぐに。
だが。
父の瞳が、それを“傲り”として見ているのを感じた。
胸の奥で、悔しさが静かに熱を帯びる。
「……俺は、火に選ばれた者です。」
言葉は慎ましく。
それでも――揺るがない。
「この印は、その証です。
燃えることを恐れてはいけないと、そう教えられました。」
サリエルは、その声を受け止め――ゆっくりと振り向く。
炎の揺らめきが頬を照らし、
瞳の奥で、わずかに光が動いた。
叱るでも、嘲るでもない。
ただ――深い祈りのような沈黙。
「選ばれた火なら――燃やすものを選べ。」
その言葉に、レイヴは何も返せなかった。
胸の奥で、炎の音だけが小さく爆ぜる。
⸻
帰り道。
聖炎大神殿を離れ、赤土の小径を歩くふたり。
姉ミラは、月明かりに照らされながら、
肩にかかった艶のある黒髪を指で払った。
その仕草には、巫女らしい静かな威厳が宿っている。
「姉さんだろ。父様に告げ口したの」
拗ねた声。
ミラは眉ひとつ動かさず、淡々と返した。
「報告したまでよ。
私はあんたに責められるようなことは、何もしてないわ」
レイヴは、苛立ちを隠さず言葉を重ねる。
「あの問いだって……
昨晩の舞で、俺の火が少し舞台を焦がしたからだろ」
「だから、あんな風に――」
ミラは、ぴたりと歩みを止めた。
ゆっくりと振り返る。
その瞳は――月のように静かだった。
「レイヴ」
短く名を呼ぶ。
「勇気はね、照らすことなのよ」
そして、弟をまっすぐに指す。
「……あんたは、燃えすぎ」
レイヴは反射的に、その手を払いのけた。
ミラは、くすっと小さく笑う。
「まあ、それも今はいいわ。あんた、まだ若いもの」
軽く肩をすくめる。
「情熱的なのは素敵だけど……
誰かのために燃える炎はね、“ちょうどいい温度”になるの」
レイヴは、言葉を失った。
ただ、空を仰ぐ。
⸻
北の空。
薄明の向こう――
火山〈ヴァルカノ〉の頂が、赤く脈打っている。
その瞬間。
左手の甲が、かすかに熱を帯びた。
炎の紋が光を拾い、
ひと筋の揺らめきが走る。
――視線の先。
炎の中に、一瞬だけ“それ”が現れた。
獅子。
燃えるたてがみが風に揺れ、
黄金の瞳が、まっすぐに彼を見返す。
声はない。
だが――確かに届いた。
(恐れるな)
(炎は、選ばれた者だけが持てる熱だ)
胸の奥が、静かに燃え上がる。
レイヴは、小さく息を吐いた。
次の瞬間――
ヴァルガンの影は消え、
ただ、夜明けの光だけが残っていた。




