第262話 旅立ちの朝、残る温度
翌朝。
澄んだ空気の中、馬車の準備を整える音が静かに響いていた。
レヴィアンがテルメナへ帰国するため、
リリナとエリオンは城門前まで見送りに来ていた。
エリオンは、馬車へ積まれる大きな木箱を示す。
「少し詰めすぎましたが……アクエリシアの特産品をいくつか」
「これは……ありがとうございます。
滞在中あれほどよくしていただいたのに、さらに手土産まで……」
レヴィアンは心から嬉しそうに目を細めた。
そして――
ふたりへと視線を向ける。
そのまなざしは、わずかにやわらかく細められた。
昨日までとは違う空気を、感じ取ったのだろう。
「共鳴の旅――どうか、お気をつけて。
テルメナでお待ちしています」
「はい。レヴィアン様にまたお会いできる日を、楽しみにしています。
どうかお身体にお気をつけて……」
リリナの言葉に、レヴィアンは深く頷く。
エリオンも胸に手を添え、静かに礼をした。
「道中のご武運を」
やがて馬車の扉が閉じられ、
御者が手綱を鳴らす。
ゆっくりと車輪が動き出し、
白い朝靄の中へと溶けていく。
その姿が見えなくなるまで――
リリナとエリオンは並んで見送っていた。
去りゆく背に、それぞれの想いを乗せながら。
⸻
馬車が完全に見えなくなったころ。
ふと、背後から視線を感じる。
振り返ると――
エリオンが静かにこちらを見ていた。
目が合った瞬間、リリナは思わず照れ笑いをこぼす。
エリオンはゆっくりと歩み寄り、
そっと頬に触れた。
「……よく眠れましたか?」
(そ、そういう状態では……なかったのに……!)
一気に顔が熱くなる。
「私は……その……普通に、眠れました」
言葉がうまく続かない。
エリオンは、わずかに目を細めた。
「……唇、大丈夫ですか?」
「……っ!?」
思わず口元を手で覆う。
エリオンは小さく息をもらした。
「……少し、無理をさせてしまいましたか」
「えっ……!?」
エリオンは、くすっと笑った。
「……冗談ですよ」
「も、もう……!」
思わずその肩を軽く押す。
エリオンは楽しそうに笑った。
「疲れが残っているようでしたら、
少しお身体をほぐして差し上げましょうか?」
「結構です! その手は……信用できません!」
「これは手厳しい」
くすり、と笑う。
「男というものは、本能に忠実な生き物ですから」
「そういう言い方、しないでください!」
ぷい、と顔を背けて歩き出す。
その後ろを、エリオンがゆっくりと追う。
「リリナ。あなたは……朝になると随分つれないですね」
振り返った瞬間――
エリオンが、すっと距離を詰めた。
(ち、近い……!)
思わず息を止める。
見上げれば、触れそうなほどの距離。
「日が変われば、温度も変わる――
そんな顔をしています」
リリナは必死に言葉を探す。
「違います……!
その……恥ずかしいからです……!」
エリオンは、ふっとやわらかく微笑んだ。
「恥ずかしさは……僕にはどうすることもできませんね」
少しだけ、声が低くなる。
「……ですが。
日が変わっても、僕の熱が冷めていないことが伝わらないのだとしたら――
それは、僕の至らなさでしょう」
その声音は穏やかなのに、どこか甘く深い。
「つ、伝わってます……!」
慌ててそう言い、また歩き出す。
すぐに、呼び止められた。
「リリナ」
振り返る。
エリオンは、朝の光の中で静かに微笑んでいた。
その瞳には――
昨夜と同じ温度が、確かに宿っている。
「……少し、出掛けませんか」
「……お出掛け、ですか?」
こくり、と頷くエリオン。
そのやわらかな視線に、胸が静かに揺れる。
夜は終わったはずなのに。
その温度だけは――
まだ、消えていなかった。




