第260話 触れた指先の奥で、名前になる想い
エリオンは、リリナを部屋の奥へと導いた。
灯りはやわらかく落ちていて、
外の気配も遠い。
その静けさが――
どこか、胸の奥を落ち着かせる。
「……ここなら、少し落ち着いて話せます」
そう言って、エリオンはベッドの端に腰を下ろした。
長身の彼に合わせて作られたのだろう。
大きな白布のベッドは、ふたり並んでも余るほどの広さがある。
「……すごく大きなベッド」
思わずこぼれた声に、
エリオンは小さく笑った。
「特注なんです。普通のものだと、足が出てしまって」
その何気ない言葉さえ――
どこかやわらかく響く。
⸻
リリナは一瞬だけ戸惑い、
けれど――その隣に、そっと腰を下ろした。
肩が、触れそうで触れない距離。
近いのに、まだ触れていないその空間が、
かえって意識を強くさせる。
ふたりの視線が、静かに重なった。
エリオンがふっと表情を和らげ、
ゆっくりと手を差し出す。
「……お話、しましょう」
その手に触れた瞬間――
そっと引き寄せられ、
やさしく抱き寄せられる。
風呂上がりの温度。
濡れた髪の香り。
重なる鼓動。
すべてが――近い。
けれど。
それを、拒むことはできなかった。
⸻
「……私、セラフィン様から聞きました」
少しだけ首をひねり、振り返る。
「エリオンは幼い頃……弱視のご病気をお持ちだったと」
エリオンは静かに頷き、
自分の右目を指した。
「ここです。今も視力は弱いですよ」
「え……見えてるんですか? 私の顔」
エリオンは左目を閉じ、右目だけでリリナを見る。
「ええ」
やわらかく微笑む。
「ちゃんと……綺麗に見えています」
胸が、息苦しいほど熱くなる。
⸻
「……知っていますか、リリナ」
囁くような声。
「花が咲くとき、水に触れたあとで光が降りるんです」
指先が、そっと髪に触れる。
「光は……ただ優しく包むだけ」
なぞるように、ゆっくりと。
息が、止まりそうになる。
「花は光を浴びて咲くけれど……」
わずかに、距離が近づく。
「生きているのは、水が支えているからですよ」
頬に触れる指先。
やさしいのに――
逃げ場を与えない温度だった。
⸻
「……私は」
声が、かすれる。
「……分かっているのに……
どうしたらいいのか、分からないんです」
エリオンは、やさしく笑う。
「それでいいんです」
静かに、言葉が落ちる。
「分からないままで――いい」
一瞬、視線が重なる。
「……一緒に、触れていきましょう」
その言葉は、どこまでも穏やかで――
それでいて、確かな意志を帯びていた。
⸻
次の瞬間――
唇が、重なった。
触れた瞬間、
世界の音が遠のく。
そのやさしさに、
すべてを預けてしまいそうになる。
思わず体が揺れ、
エリオンへと倒れ込むような形になる。
「っ……!」
自分の体勢に、息を呑む。
そのまま固まるリリナに、
エリオンはやさしく体を支えた。
気づけば――
視線の距離が、さらに近くなる。
逃げ場のない距離。
けれど――
そこにあるのは、優しさだけだった。
再び――唇が重なる。
今度は、迷いなく。
触れた温度が、静かに広がっていく。
リリナも――
そのぬくもりの奥へ、そっと身を委ねた。




