第248話 静夜の寄り添い、影の中の温度
布を擦る、やわらかな音。
ふたりは、自然と振り返った。
そこに立っていたのは――
シスターたちの中でも、“母”のような温かさを纏う女性だった。
銀の十字飾りが胸元で静かに揺れ、
深い青の修道服が、波のように落ち着いた動きを見せている。
エリオンはすぐに立ち上がり、深く頭を下げた。
リリナも慌てて続く。
女性は、穏やかに微笑む。
「どうか顔をお上げくださいませ、王子様。そしてセレフィアの姫君様。
本日、子どもたちと“静めの儀”を拝見したばかりでございました。
こうして再びお会いできますこと――心より感謝いたします」
湖の底のように澄んだ、やさしい声だった。
エリオンは、丁寧に応じる。
「マザー・アナベル。
急な訪問にもかかわらず、扉を開いてくださり、ありがとうございました。
……影を、こちらへ連れてきてしまいました」
マザーは静かに首を振る。
「闇の歩みを、この目で確かめることができました。
……これもまた、導きでございます。
ですが――王子様と姫君を、この大広間で休ませるわけにはまいりません。
空いている客間へご案内いたします」
その言葉に、エリオンはやわらかく頭を下げた。
「お気遣いに感謝いたします。
ですが……ここで十分です。
皆と同じ場所で、休ませていただきます」
その一言に――
周囲の避難者たちが、静かに息を呑む。
マザー・アナベルは、深い慈愛の眼差しで頷いた。
「……承知いたしました。
では、毛布をお持ちいたします。
夜は冷えますゆえ、どうかお体を冷やされませんように」
「ありがとうございます、マザー」
その声は、どこまでもやわらかかった。
マザーは静かな足音で去っていく。
その背に宿る祈りの気配が、空間にやすらぎを残していった。
⸻
再び、大広間に静けさが戻る。
リリナはそっとエリオンへ身を寄せ、
声を潜めて囁いた。
「エリオン様は……こちらに、よく来られるのですか?」
羽のように軽い声。
けれど、その距離は――近い。
エリオンも同じように、声を落とす。
「マザー・アナベルは、この祈りの宿の管理評議会をまとめる方です。
僕は……ほんの少し、支援を。
できる限りのことを、お手伝いしているだけです」
低く落ちる声が、耳元をかすめる。
まるで――ふたりだけの秘密のようで。
リリナの心臓が、跳ねた。
⸻
そのとき。
シスターが毛布を一枚抱えて戻ってきた。
「……申し訳ございません。数が足りず、一枚だけで……」
エリオンがそれを受け取り、リリナへ視線を向ける。
自然と、差し出した。
「どうぞ、姫様に」
リリナは慌てて押し返す。
「い、いえ……エリオン様が使ってください……!」
「僕は大丈夫です。リリナ姫様を優先して――」
そのやり取りに、前の長椅子の旅人夫妻が、くすくすと笑った。
「ふたりで使えばいいんですよ?」
寄り添いながら、毛布に包まって見せる。
一瞬で、頬が熱くなる。
けれど――
エリオンは、驚くほど自然に頷いた。
「……ええ、その通りですね。ただ――」
わずかに困ったように微笑む。
「姫様に、少し嫌われているようで」
「っ……嫌ってなどいませんっ!」
思わず、声が強くなる。
慌てて抑えながら――
リリナはエリオンの膝を、ぽん、と叩いた。
エリオンの目元が、やさしく緩む。
「では……遠慮なく」
毛布を広げ、片腕を差し出す。
――まるで、「ここへ」と誘うように。
リリナは、毛布とエリオンの顔を見比べた。
喉が鳴りそうになる。
けれど。
エリオンは急かさない。
ただ静かに――やさしく待っていた。
……その視線に、心がほどける。
リリナは、そっとその中へ身を滑り込ませた。
次の瞬間。
エリオンの腕が、躊躇なく――
けれど何よりも大切そうに、肩へ回される。
触れた体温が、胸の奥まで染みていく。
暗い大広間の中で。
ふたりだけが――
小さな灯りのように、寄り添っていた。




