第246話 癒しの手、揺れる心
駆け込んだ人々は、十数名ほど。
誰もが息を切らし、
椅子に崩れ落ちるように座り込んでいた。
修道女たちが、慌ただしく水を配っている。
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エリオンは、支えていた旅人の妻をそっと椅子へ座らせた。
「足を怪我されていますね……出血が」
静かに膝をつき、傷を確かめる。
その表情には、責任と心配が滲んでいた。
「すみません。手当てをお願いします」
声を受け、修道女が治療箱を取りに走る。
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リリナも、そっとその隣に膝をついた。
「派手に転んでしまいました」
妻は気丈に笑ってみせる。
けれど、その傷は決して軽くはない。
(……この程度なら……私でも……)
胸の奥で、何かが流れる。
水の国に来てから感じていた――
あの、不思議な感覚。
(……使える気がする)
リリナは、そっと傷へ手を伸ばした。
「姫様、お手が……汚れてしまいます……」
驚いて制止しようとする妻に、
リリナは静かに微笑む。
(大丈夫……きっと……できる)
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触れた瞬間。
胸の奥から、温かな水が満ちていく。
静かに、ゆっくりと。
その流れが、掌から相手へと伝わっていく。
「……っ、あ……温かい……」
妻の瞳が見開かれる。
リリナを見て――
そして、エリオンへと視線が移る。
エリオンは、息を呑んでいた。
ただ――息をするのも忘れたように、
リリナの横顔を見つめていた。
「痛くありませんか?」
リリナが優しく問いかける。
「……はい……」
妻は、小さく首を振った。
「温かいものが……流れ込んでくるようで……」
その声は、わずかに震えていた。
やがて――
その温もりが、すっと静まる。
リリナは、そっと手を離した。
三人の視線が、傷へと落ちる。
――そこには、もう何も残っていなかった。
「……えっ……!? 傷が……消えてる……!」
最初に声を上げたのは、妻だった。
「姫様……あなた、一体……?」
リリナは、少しだけ困ったように笑う。
「……私にも、よく分からないんです」
そのとき。
エリオンが、静かにリリナの手を取った。
「リリナ姫様……」
その声は低く、やわらかい。
「手は、痛くありませんか?
無理をされたのでは……」
それは――
騎士でもなく、王子でもなく。
ただひとりの人としての、純粋な心配だった。
胸が、揺れる。
リリナは、そっと微笑む。
「大丈夫です……エリオン様」
視線が重なる。
ほんの一瞬。
それだけで、心臓が跳ねた。
リリナは、そっとその手を離す。
ちょうどその時、修道女が治療箱を抱えて戻ってきた。
「あの……すみません。
もう、手当ては必要ないようです」
エリオンが、申し訳なさそうに告げる。
修道女は目を丸くし、
リリナと、治った足を見比べた。
「……奇跡、でございますね……」
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静まり返った祈りの宿。
その中に、わずかなざわめきと――
安堵の息が、静かに、確かに広がっていった。




