第243話 迫る影、揺れる祈りの道
リリナは、闇がどこから迫るのか分からず、
何度も振り返りながら必死に走っていた。
(……早く、伝えないと……!)
湖畔の近くで、旅人と思われる夫妻が祈りを捧げていた。
アクエリシアの民とは異なる装い。
本来なら――祈りの最中に声をかけるべきではない。
けれど、今は。
「すみませんっ……!少し、お話を――!」
声を張る。
妻がゆっくりと振り返り、目を見開いた。
「あら……あなた、静めの儀で花弁を奉納されていた……セレフィアの姫様?」
夫も、はっと顔を上げる。
(……良かった……!)
(見てくれていた人たち……!)
リリナはすぐに言葉を続けた。
「アクエリシア王より、外出禁止令が出されています。
……ご存知ありませんか?」
妻は戸惑いながら首をかしげる。
「外出禁止……?
ああ、立札に何か書かれていたような……人が多くて、避けてしまったのよ」
(……やっぱり……!)
「説明は走りながらします!ついて来てください!」
「え、走るの……?」
戸惑う間もなく、三人は駆け出した。
「影が――山を越えて、こちらへ来ています!」
その瞬間。
リリナは、反射的に振り返った。
そして――凍りつく。
黒い煙のような影が、地平線から溢れ出し、
湖畔へ向かって広がっていた。
「…………っ!」
夫妻も振り返る。
「ひ……っ!」
声にならない悲鳴。
三人の足が、一斉に速くなる。
「この先に“祈りの宿”という教会があります!
そこが一番近い安全な場所です!
建物に入れば、影は入ってきません!」
夫妻は必死に頷き、走り続ける。
そのとき――
進行方向に、ひとりの老婆の姿が見えた。
歩みは遅い。
(……このままじゃ、間に合わない……)
リリナは足を止めた。
「姫様っ!早く……!闇が……!」
妻が振り返り、震える声で叫ぶ。
「先に行ってください!
この方を連れて行きます!」
リリナは老婆の手を取った。
「大丈夫です……私がついています。
一緒に、行きましょう」
老婆は不安そうに目を見開き――
それでも、小さく頷いた。
そのとき。
背後から、力強い足音。
振り返る間もなく――
夫が引き返してきて、老婆を背負い上げた。
「姫様も、遅れるな!」
「は、はいっ!」
胸が熱くなる。
(……優しい人たち……)
迫り来る闇の冷たさの中で、
そのぬくもりだけが――確かな光のように、リリナを支えていた。




