第239話 さざめく胸、すれ違う三つの影
セラフィンが去ると――
リリナの胸の奥に、じわりと冷たい水が落ちるような感覚が広がった。
奉納演奏は続いているはずなのに、
音が、耳の奥まで届かない。
(……少し、休みたい)
そう思った、そのとき。
屋台の方から歩いてくるレヴィアンの姿が見えた。
その顔を見た瞬間――
胸の沈みが、少しだけやわらぐ。
リリナは笑顔を作り、差し出された飲み物を両手で受け取った。
「ありがとうございます」
「意外と種類があって悩みましたが……これにしました」
一口、口に含む。
やさしい甘さが、ゆっくりと広がる。
「甘くて美味しいです。何と悩まれたのです?」
「氷花酒です」
レヴィアンが、少しだけ冗談めかして笑う。
思わず、リリナも小さく笑った。
「昨晩、飲まれたのでは?」
「ええ。飲みましたよ」
くすくすと、笑い合う。
その穏やかな空気に、胸の緊張がほどけていく――
そのとき。
背後に、強い気配が落ちた。
振り返る。
エリオンが、立っていた。
いつもの静かな微笑み。
それなのに――
胸の奥が、きゅっと痛む。
笑えない。
視線が、自然と逸れる。
視線が揺れて――
リリナは、レヴィアンへと視線を逃がした。
レヴィアンは、その空気を一瞬で察した。
ほんのわずかに、ふたりを見比べる。
そして。
何事もなかったかのように、穏やかに口を開いた。
「このあと、“水鏡の一花”があると屋台で聞きました」
「水鏡の……一花?」
疑問は浮かぶ。
けれど――
エリオンへ振り返る勇気が、ない。
その背中から、声が落ちてくる。
「ええ。本来は日没前に行うのですが……
時間短縮のため、そろそろ始まります。
……花を選びにいきましょう」
リリナは少し遅れて頷き、レヴィアンと並んで歩き出した。
エリオンは、少し先を歩く。
その背中を――
そっと見つめる。
すると。
エリオンが、振り返った。
目が――合う。
一瞬。
時間が、止まったように感じる。
でも。
リリナはすぐに、視線を逸らした。
胸の奥が、ぎゅうっと痛む。
(……どうして……)
(こんな気持ちになるんだろう)
風が頬を撫でる。
けれど、胸のざわめきは静まらない。
あの夜のぬくもりが、浮かぶより先に――
フェイラと並んでいた、あの横顔がよぎる。
それは、静かに。
けれど確かに――
痛みとして、胸の奥に残っていた。
名前のつけられない感情が、
湖の青より深く、
静かに、波紋を広げていく。




