第227話 帽子の贈り物、淡い光の距離
食事を終え、静かな回廊を並んで歩く二人。
アクエリシアの朝は、空気の粒まで透き通っていた。
その静寂の中で、エリオンがふいに声を落とす。
「……“帽子を贈る”と申し上げた件、覚えておられますか?」
やわらかな声音。
どこか、楽しみにしていたような温度を含んでいる。
リリナは顔を上げ、ぱっと頷いた。
「はい。街へ行くのですか?」
エリオンは静かに首を横に振る。
「仕立て屋を呼んであります」
「……し、仕立て屋を……?」
思わず言葉が止まる。
その反応に、エリオンはわずかに肩を揺らし、横目で微笑んだ。
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案内された応接間には、淡い湖光を受けた帽子たちが並んでいた。
可憐なキャペリン。
湖色のリボンをあしらった上品な帽子。
柔らかな生成りの編み帽子——
リリナは思わず息を呑む。
「帽子が……こんなに……」
その声に、エリオンは一つのキャペリンを手に取った。
そして、リリナの前に立つ。
まるで儀礼の一部のように、静かな所作でそっと頭にのせた。
「……とても、可愛らしいです」
飾りのない言葉。
けれどそのまっすぐさが、胸の奥をやさしく満たす。
「鏡を……見てもいいですか?」
「ええ」
鏡に映った自分は、どこかいつもより柔らかく見えた。
揺れるリボンが光を集め、頬にやさしい影を落としている。
その様子を見つめ、エリオンは静かに目を細めた。
「他にも、好きなだけ選んでください」
「す、好きなだけ……?」
戸惑うリリナに、エリオンはもう一つの品を手に取る。
生成りのフラワーレースのヘアバンド。
繊細な花模様が連なり、結び紐が光を透かしていた。
「……こちらも、似合うと思いました」
そう言って、前髪をそっと払う。
指先が触れた瞬間——
胸が、小さく跳ねた。
結び紐を整えるため、髪を持ち上げる指が首筋をかすめる。
かすかな呼気が触れ、くすぐったいほど熱を帯びた。
「……結び目が、難しいですね」
珍しく戸惑う声音に、リリナは思わず笑みをこぼす。
「ふふっ……」
エリオンも、わずかに息をもらした。
「……笑われましたね」
そう言いながらも、指先はより慎重に紐を結ぶ。
やがて、花模様がふわりと整った。
そのまま、そっと肩に手を添えられる。
鏡の前へ導かれ、背後に立つエリオンの気配が近づいた。
鏡越しに、視線が重なる。
頬が、ほんのりと熱を帯びていた。
「……ええ。よく似合っています」
低く、静かな声。
それは妹に向けるものとは違う——
やわらかく、けれど確かな温度を帯びていた。
胸が、きゅっと鳴る。
「少し……いつもより、幼く見えますね」
わずかに冗談めかし、そして。
「……本当に、愛らしい」
言葉が、深く落ちてくる。
鏡の中で視線が絡み、逃げ場がなくなる。
リリナは言葉を失い、そっと頬に触れた。
その様子を見つめ、エリオンはやわらかく微笑む。
「……これも、贈らせてください」
囁くような声。
耳元に落ちるその響きは、触れれば溶けてしまいそうなほどやさしかった。
「あなたに似合うものを選べて……僕は嬉しいのです」
リリナは胸に手を当て、小さく頷く。
「……ありがとうございます。大切にします」
エリオンは静かに微笑んだ。
その笑みは——
水面に差す朝の光のように、やわらかく。
けれど、どこか甘い温度を秘めていた。




