第225話 氷花の記憶、揺れる鼓動
陽の光が、斜めに差し込む部屋。
柔らかな影の中で、リリナはしばらく言葉を失って立ち尽くしていた。
丸いクッション。
淡いブルーのブランケット。
小さな机の上には、丁寧に刺繍された花模様のハンカチ。
そっと手に取る。
——小さな指で触れていた記憶が、そこに残っている気がした。
「……かわいい」
こぼれた声は、どこかくすぐったいような、やさしい響きをしていた。
「もし刺繍をやってみたいなら、母にお願いするといいですよ。
きっと、喜んで教えてくれます」
「本当ですか? 嬉しい……」
微笑んだ、その時だった。
ふと——
何かを思い出したように、リリナの手が止まる。
「あ……」
慌ててリュックを開き、小瓶を取り出した。
中には、澄んだ氷の花が静かに咲いている。
あの日、ルクヴェルでエリオンが作ってくれたもの。
エリオンは、その花を見て、わずかに目を見開いた。
「……持ってきたのですか」
リリナは、少し照れながら頷く。
エリオンはふっと微笑み、瓶を受け取った。
指先が、そっと氷の花に触れる。
「……懐かしいですね」
その声音は、遠い記憶をなぞるようだった。
「これは……未熟だった頃の僕が、初めて形にしたものに、よく似ています」
リリナは小さく息を呑む。
「セレナス湖の湖水で、こっそりと作ったんです」
「湖水で……?」
「ええ。本当は許されていません」
わずかに、困ったように笑う。
その表情が、あまりにも穏やかで——
リリナの胸が、静かに揺れた。
エリオンは氷花を見つめたまま、静かに続ける。
「妹は、ティアラといいます。
セレナス湖の“祈りの小径”が大好きで……
自分の痛みより、誰かの安寧を祈る子でした」
言葉は静かに落ちていくのに、
胸の奥へ、深く沁みてくる。
「最後の頃は……もう、歩くことすら難しくなっていて。
だから、この花だけは……部屋からでも祈れるようにと、僕が持ち帰りました。
……本当はいけません」
責めるでもなく、誇るでもなく。
ただ、やさしく語る声。
リリナの胸が、ぎゅっと締めつけられた。
その気配を感じ取ったように、エリオンの手がそっとリリナの頭を撫でる。
「リリナ姫様の氷花は……完成形ですよ」
「完成形……?
“光と一緒に咲き続けます”って、エリオン様が——」
エリオンは静かに頷いた。
「僕は、見つけたのです。
……僕だけの“光”を」
わずかに、視線が揺れた。
その瞳は、どこまでも穏やかで。
けれど——どこか、ひどく孤独で。
「ティアラのことで、胸を痛めなくていいのですよ。
あの子はきっと……悲しんでなどいませんから」
リリナは言葉を失ったまま、見つめ返す。
その時——
視界が、滲んだ。
ぽろり、と涙がこぼれる。
その瞬間、エリオンの指先がそっと頬に触れ、涙を拭った。
驚いて、自分でも慌てて拭う。
けれどエリオンは、それを止めることなく——
ただ静かに、寄り添うようにリリナを見つめていた。




