第221話 母の記憶、託される優しさ
リリナの部屋。
旅支度の最終確認をしながら、山のように積まれた荷物を前に、深く息をついた。
エリオンは「身一つでいい」と言ってくれた。
けれど――そういうわけにはいかない。
服を詰めれば、他のものが入らない。
リュックの上に乗って体重で押しつぶしてみても、当然のように閉まらなかった。
「……もうっ……」
思わず声が漏れる。
その時――扉が軽く叩かれた。
「どうぞ……」
返事と同時に、扉が静かに開く。
そこに立っていたのは、優しい微笑みをたたえたユスティーナだった。
「お母様!」
リリナは慌てて姿勢を正す。
ユスティーナは歩み寄り、静かに言った。
「……明日には、行ってしまうのね。」
どこか寂しさを含んだ声だった。
「マルナを連れて行かなくて、大丈夫なのですか?」
その問いに、リリナは首を横に振る。
「影鐘隊のこともありますから……
マルナを危険な目に合わせるわけにはいきません。」
ユスティーナはゆっくり頷いた。
「……そうね。あなたの判断は正しいわ。」
一拍置いて、穏やかに続ける。
「エリオンを頼るのですよ。」
「え……?」
思わず目を瞬かせる。
母は微笑みを崩さない。
「エリオンは、本当に優しい人です。
あなたが、彼を“兄のように慕おうとしている”と聞いて……母も安心しました。」
(……そんなこと、誰が……)
心臓が跳ねる。
(……エリオン様?)
そして、その言葉はさらに続いた。
「彼には、あなたと同じくらいの年の妹がいたの。」
リリナの表情がわずかに揺れる。
「それはそれは可愛がっていたのよ……
自分のことを後回しにするくらいにね。」
「妹……?」
初めて聞く話だった。
「ティアラ王女よ。
長いあいだ闘病していたのだけれど……
皆に惜しまれながら、セレナス湖へ還ったの。」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
(……エリオン様……)
――家族に長く闘病していた者がいた。
あの日の言葉と表情が、静かに重なった。
――あれは、妹のことだったのだ。
ユスティーナは目を伏せる。
その奥に、悲しみが滲んでいた。
「彼は、寂しい想いをたくさんしたでしょう。
だから……あなたが兄のように慕ってくれるのは、母としても嬉しいのですよ。」
そして、ふっと微笑む。
「エリオンも言っていたわ。
“リリナ姫は……可愛らしい”と。」
「っ……!」
一瞬で頬が熱くなる。
耳の先まで染まっているのが、自分でも分かった。
ユスティーナは、そんな娘を優しく見つめていた。
その眼差しには――
旅立ちを見送る母の、静かな愛情が満ちていた。




