第210話 黒月の別れ、約束のネックレス
「……来ないのか?」
ヴァエルの声音は軽い。
だがリリナは、全力で首を横に振った。
「そうか。」
それだけ言うと、ヴァエルはあっさりと横になる。
(寝たら……)
(“返影”まで一気に飛ぶ……)
(そしたら私は、この世界から――)
「ま、待って! 寝ないで!!」
慌てて駆け寄り、肩を揺らす。
その瞬間。
ヴァエルの手が伸び、リリナの手首を掴んだ。
――引かれる。
気づけば、ベッドに押し倒されていた。
「っ……!」
息が詰まる。
思わず顔を背ける。
だが――
恐る恐る視線を戻すと、
ヴァエルは隣で片肘をつき、
余裕の表情でこちらを見下ろしていた。
くす、と小さく笑う。
「少しだけなら相手してやる。」
低い声。
「それ以上は無理だ。明日、ミロスと会う約束がある。」
一拍。
「アイツは、約束にうるさい。」
「ミロス……七魂の一人……?」
「ああ。水の魂だ。」
「水……エリオン様と同じ……」
「エリオン?」
わずかに眉を動かす。
「そっちでは、そういう名なのか。」
リリナは小さく頷いた。
「とても優しい人です。最近は……兄のように接してくれて……」
(地鳴りで抱きしめられたけど……言えない……)
「……ふられたな。」
「ふ、ふられてません!!」
思わず声を張り上げる。
(なんでこの人は……!)
頬が一気に熱くなる。
その様子を見て、ヴァエルの視線がふっと落ちた。
リリナの胸元――印の位置。
「その印は、エリオンか?」
リリナは首を横に振る。
――その瞬間。
「あっ……!」
思い出す。
「ネックレス返してくださいっ!」
「急に何だ。」
「大切な……大切なネックレスなんです!」
ヴァエルは無言でポケットに手を入れ、
金の鎖を取り出した。
リリナの目の前で、ゆらりと揺らす。
掴もうと、手を伸ばす。
だがその瞬間――
ヴァエルはそれを、掌の中に隠した。
「……っ!」
「お前の印が完成したら。」
静かな声。
「逃げずに来い。
自分の足で、この地まで――」
一拍。
「その時に返す。」
「え……?」
言葉が、追いつかない。
「世界を救いに行くんだろう?」
瞳が揺れる。
けれど、その揺れは――すぐに変わった。
覚悟へ。
「……はい。」
息を吸う。
「もっと強くなって……必ず来ます!」
その言葉に――
ヴァエルは、初めて柔らかく笑った。
リリナの胸が、大きく跳ねる。
「俺たちは強いぞ。
辿り着けるなら……八戦目が俺だ。」
「八戦目って……!?」
思わず身を起こす。
「争うつもりなんてありません!!」
「ぬるいな。」
即答。
「俺たちは、この世界が壊れていても――英雄なんかに興味はない。」
天井を見上げたまま、言葉を落とす。
「ただ、心を動かす何かが欲しい。」
静かに。
「その時、お前が何を選ぶか――見てやる。
退屈なんだ……俺たちは。」
「そんな……そんな理由で……!」
言いかけた瞬間。
ヴァエルは、片耳をふさいだ。
「うるさい。もう寝る。」
目を閉じる。
(……この人、本当に……分からない……)
呆れと、少しの寂しさ。
リリナは、ゆっくり息を吐いた。
そして――
静かに、言う。
「……おやすみなさい、ヴァエル。」
一拍。
「……寝ろ。」
「……ありがとう。」
黒月の光の下。
ふたりの影が、わずかに重なっていた。




