第200話 影の館、強さを試す掌
やがて巨大鴉は、
金属製の柵に囲まれた大きな館の前で下降を始めた。
窓という窓から灯りが漏れ、
アンダーヴェイル特有の“無数の光”が建物を織り上げている。
(窓が多いから……上空からあんなに綺麗だったんだ……)
鴉が羽を閉じた瞬間、
ヴァエルは迷いなく地面に降り立った。
何も告げられないまま——
ここが終着なのかも分からない。
……けれど、何かを捧げるような気配はなくて、
胸の奥で、わずかに息が抜けた。
リリナもバランスを取りながら立ち上がる。
(鴉の背中って……硬いんだ……。
踏んでごめんなさい……)
そう思いながら飛び降りると、
巨大鴉は静かにリリナを見下ろす。
そのとき――
影が揺れた。
巨大鴉の輪郭がぐにゃりと伸びるように歪んでいき、
そのまま黒い霧のように崩れ、吸い込まれていく。
「っ?!」
リリナは思わず一歩下がった。
黒い羽はすべて、
ヴァエルの足元に広がる影の中へ沈んでいく。
「鴉が……!」
声が漏れた。
ヴァエルは表情ひとつ動かさずに言う。
「俺のペットだ。」
「ぺ、ペット……?!」
(飼っている……?)
(それとも……従えている……?)
ペットが影の中に帰る世界など、聞いたことがない。
ヴァエルは振り返らず、
館の入り口へ歩き出す。
リリナは慌てて、その横に並んだ。
歩きながら、
彼の影が視界の端に揺れた。
(……あの影に触れたら、私も吸い込まれるのかな……?
この人……特別な力を持ってる……)
そう思いながら、自分の掌をそっと見つめる。
私だって、治癒の力がある。
世界が違っても、“異能”は普通なのかもしれない。
「……お前にも、いるのか?」
突然ヴァエルが言う。
「……ペット。」
リリナは瞬きし、頷いた。
「ペットって言い方は好きじゃないけど……
家族に、ルナっていう子犬がいます。」
ふたりの視線がふっと絡んだ。
沈黙。
ほんの数秒なのに、呼吸が深くなる。
距離が、わずかに近づいた気がした。
そして――
「美味そうだな。」
ヴァエルは淡々と言った。
「……えっ!?
ルナは食用ではありません!!」
即座にリリナは声を上げた。
その瞬間、
ヴァエルの周囲の空気がわずかに変わる。
「ここでは、強い者がすべてだ。」
初めてヴァエルの声に“感情”が乗った。
「お前も……弱い。
そうだろう?」
近づいてくる。
リリナは反射的に半歩下がる。
逃げようと身体が動こうとするのに――
動かない。
(……金縛り……?
どうして……身体が……!?)
ヴァエルは、揺らぐ瞳をまっすぐ見つめる。
その視線は、微塵も揺るがない。
ゆっくりと手が伸びてくる。
リリナは目を強く閉じた。
次の瞬間。
ヴァエルの掌が、
リリナの頭に置かれた。
指先が、髪をひと撫でする。
優しくも、支配するようにも感じられる仕草だった。
「……強さを証明しろ。」
声は低く、静かで――逃げ場がない。
「でなければ、
俺と並ぶことは許さない。」
そして。
ヴァエルの指が、
胸元のネックレスに触れた。
パキン――
金具が砕ける小さな音が、胸の奥の痛みに直結した。
レンセリオンから贈られた婚約ネックレスが、
一瞬で引きちぎられ、奪われた。
「――っ!」
身体を縛っていた何かが解け、
一気に自由が戻る。
そのままヴァエルは館の中へ入っていった。
「待って……!!」
リリナは慌てて後を追った。




