第10話 願いの波紋
石造りの噴水の縁に、三人の影が並んでいた。
昼下がりの光が水面に反射し、無数の小さな波紋が石畳に揺れている。
風が髪を優しく揺らし、空の青がゆっくりと水に溶け込むようだった。
噴水は、絶え間なく静かな音を刻んでいる。
「……願いごとというのは、口にしてはならぬものだと聞いたことがあります」
静かに口を開いたのは、レンセリオン。
整った横顔はまっすぐ噴水を見つめ、その声には理知と格式が宿っていた。
「声にすれば、風にさらわれてしまうかもしれない――古い伝承ですね」
隣に座るエリオンが、柔らかに微笑みながら言葉を継ぐ。
水面のように澄んだ灰青の瞳が、静かに、波紋を追っていた。
リリナはふたりのやり取りを聞きながら、そっと顔を上げた。
「……でも、誰にも聞こえなかったら、大丈夫……ですか?」
その問いかけに、エリオンは少しだけ驚いたようにリリナを見つめ、
レンセリオンはわずかに眉を上げる。
「どうでしょうか。ですが――リリナ姫の願いであれば、風もそっと耳を傾けるでしょう」
レンセリオンの声音は、厳格さの中にほのかな優しさをにじませていた。
リリナは少しだけ迷ったように視線を落とすと、そっと噴水の中へ手を差し入れた。
水の冷たさが、指先を撫でる。
その時だった。
水に触れていたリリナの指先に、ふわりと、やさしいぬくもりが広がった。
まるで、水そのものが彼女の手を包み込むように――そっと、そっと。
「……?」
小さく瞬きをして、水面を覗き込む。
透明な揺らぎの中で、彼女の手の周囲にやわらかな水流が渦を巻き、まるで見えない誰かが、その手に触れているようだった。
そして、その渦の先――エリオンの指先が、水の中に差し入れられているのが見えた。
けれど、彼は何も語らない。
ただ微笑をたたえ、まっすぐにリリナの瞳を見つめていた。
水のぬくもりは、まるで彼の心のように――
静かに、やさしく、言葉よりも深く――リリナの心に触れてくる。
リリナは戸惑いに目を瞬かせ、そっと頬を染めた。
(……これって、いまの……水? それとも……)
けれど、問いかけることはしなかった。
なぜならその答えは、静かに揺れる水面が、すべてをそっと語っていたから――。
――その一瞬のやりとりを、
レンセリオンだけが知らなかった。
彼は変わらぬ声音で、まっすぐに語っていた。
「……願いを語ることは、本来、礼に反するものかもしれませんが……僕は、それでも――見届けたいと思っているのです」
「リリナ姫の未来を。そして……この国の歩みを」
その言葉に、リリナはふたたび顔を上げる。
水面のきらめきが、レンセリオンの横顔を濡らしていた。
その瞳はまっすぐ未来を見据え、揺るがぬ意志をたたえている。
対して、エリオンはただ静かに、水を撫でていた。
指先が水面に波紋を描き、それはリリナの手元まで、そっと届いていた。
語られる言葉と、語られぬ想い。
風にそよぐ誓いと、水に揺れるやさしさ。
リリナはまだ、その全てに気づいてはいない。
――その波紋が、どこへ広がっていくのかも。




