王国歴1669年10月23日①:身体?精神的?
王国歴1669年10月23日
私はヒイロに起こされて目を覚ました。ヒイロに起こすつもりは無かったようだが、手を握られたり頬を突かれたりしたら普通に目が覚めるものだ。私は眠りを妨げられたが嫌な気分にはならず、不思議と笑みが零れてしまった。
カーテンを開けるとまだ日は低く、庭の木々の先端に日が当たり始めたぐらいだ。少しだけ肌寒かったが、まだ息が白くなる程ではなかった。
着替えて廊下に出ると、メイド服を着たフレッキが私達を待っていた。その立ち姿は昨晩と違い、まるで本物のメイドの様である。いや、本物のメイドなんだけどね?
「おはようございます。ヒイロ様、コマイ様」
「お、おはようございます」
「おはようございます……フレッキ先輩、熱でもあるんスか?」
「な!?コマイ!……失礼いたしました。朝食の準備ができております」
私の言葉にフレッキが表情を崩すが、すぐにメイドの顔に戻った。どうやらナーナに叱られて少しだけ仕事をする気になったようだ。
食堂にはすでにコーモノとグララブが居り、私達の到着で朝食が始まった。宿屋で食べた朝食のように贅を凝らしてはいないが、不思議と私には美味しく感じた。思えばハニトラを始めてから外食ばかりで、ずっとゲッスーナ邸の料理を食べていない。私は食べ慣れた味に安心している自分を少しだけ可笑しく思った。
食堂にはナーナも居たが、特に変わった様子は無かった。しかしグララブに給仕する時に優しい微笑みを浮かべるし、グララブにだけ料理を増やしているのは気のせいではないだろう。私は安堵しつつ、このまま事態が悪化しない事を願った。
朝食を終えた私達はナーナが呼んでくれた馬車に乗り込み宿へと向かった。見送りの際にナーナがしゃがんでグララブの頭を撫でた。そのお返しなのかグララブがナーナの頬にキスをするが、ナーナは嬉しそうに微笑むばかりだった。
馬車の中ではグララブは上機嫌で鼻歌交じりに窓の外を眺めていた。私は昨晩の事を聞こうか迷ったが、要らぬ情報まで入ってきそうなので深入りする事を諦めた。
宿に戻るとシーナルとビビィ、そしてキースが食堂で寛いでいた。3人は楽しそうに談笑しながら紅茶を嗜んでいる。キースもティーカップを摘まみ上げ笑顔で飲んでいた。
私はテーブルに駆け寄り、元気な笑顔で挨拶する。
「おはようございます!」
「おぅ、おはよう嬢ちゃん!」
「おはよう、コマイさん」
「コマイちゃ、おはよう」
3人が3様の笑顔を向けてくれる。何だかみんな幸せそうだ。私に追いついたグララブが顎を撫でながら微笑む。
「ほほ!何だか皆、良い事があったようじゃの!」
「何がってほら…その、何だ…言わなくても分かるだろうがよ…」
「ふふ、ここに居る全員…いや、まだ寝ているカリーナも幸せを謳歌している所です」
「そういうグララブさんもぉ、何か良い事があったみてぇだな?」
「ふっふっふ…分かるか?…ついに儂にも相手が見つかったんじゃ!」
「よく分かんねぇけど、それは良かっただなぁ」
グララブの言葉にビビィは微笑むが、それまで笑顔だったシーナルとキースが硬直する。2人はギギギと聞こえそうな様子で首を曲げると、不安そうにグララブを見つめた。
「ぐ、グララブさんよぉ…あんまり派手にしねぇでくれよな?」
「そうです、衛兵や冒険者ギルドに注意されるのは私達なんですから…」
「な、何かあったんですか?」
2人は顔を見合わせると、私を食堂の隅に引っ張っていった。そしてビビィに聞こえないように小声で話し始める。
「グララブさんは年増の女性を”女”に戻しちまうんだ…」
「その…そうなった女性は箍が外れてしまうんです」
「…箍が…外れる?」
「何ていうか…自分を抑えられなくなるみたいだぜ?」
「そうです、それまで控えめだった女性が自信を持って男性を求め始めるのです」
私は首を傾げて想像してみる。ナーナが笑顔になって男性と付き合えるのは良い事のように思えた。
「…?それは良い事じゃないんですか?」
「馬鹿!箍が外れるって言ってんだろ!」
「グララブに堕とされた女性は性に奔放になり自由な恋愛を始めます。そこに倫理感は存在せず、気に入れば既婚などの条件は問わなくなります!」
「そ、それって大問題じゃないですか!」
私が驚くと、キースは頭を振って否定した。
「グララブに満足できねぇ女は普通の男を求める。そんな身体の喜びを求めるだけなら問題にならねぇ…誘われて浮ついた旦那も悪いからな」
「問題なのはグララブで満足してしまった女性…つまり精神的な喜びに傾いてしまった女性なんです」
「……身体?精神的?」
首を傾げる私に、キースとグララブが目を合わす。そして2人とも腕を組んで悩み始めた。
「あぁ~…嬢ちゃんにはまだ分からねぇか…その、なんだ…無性に誰かに抱きつきたくなるとか、抱きしめて欲しいとか…腹いっぱい食べるっていう方が分かりやすいか?それが身体の喜びってヤツだ」
「キース、難しい例えを使いますね…それに対して精神的な喜びは…他の食べ物は食べたくない、お腹いっぱいにならなくてもスイーツだけを食べていれば幸せ…そんな感じでしょうか?」
「う~ん…精神的な喜びの方が、何だか不健康な気がしますね?」
「な、何となく伝わったみてぇだな」
キースは一息つくと表情を硬くして話を続けた。
「つまり精神的な喜びを求めた女は、グララブのような子供が欲しくなっちまうって事だ」
「今までに3人の女性がそんな状態に陥り、夜な夜な少年を探しては誘ってしまったんです…場合によっては攫ったり、監禁したり…」
「そ、それは大問題ですね…」
「まぁ、女児を傷付けてしまった場合は立派な犯罪ですが、男児の場合は傷付きませんから大きな罪にはなりませんでした。監禁も身代金目的ではありませんしね」
「しかしヤラれた子供は歪むみてぇで、その後が大変らしい…元を辿ればグララブが原因みたいなもんだから、衛兵とかから俺達が叱られるんだぜ?」
「そんなもん、儂の責任ではないだろうが…」
声に振り向くと、憮然とした表情のグララブが私達を見ていた。
「付き合った女のその後なんて、そこまで責任は持てんぞぃ」
「いや…しかしだな、グララブさんよぉ…」
「キース、お前が今まで抱いてきた女全員の責任を取れるか?取れんじゃろ?」
「そ、そりゃ…そうだがよぉ…」
「それに最後の一線は儂から超えた事はないぞ?儂は涙目でモジモジするだけじゃ。後は女の方から儂を脱がし始めるからのぉ…あの時の高揚した女の顔は最高じゃ!」
「よ、良く分かんないですけど…グララブさんが歪んでるって事は分かりました…」
私はドン引きし、グララブと距離を取るために後退る。
その時食堂の入口からカリーナが入ってきた。服装はブラウスに紺のスカートと、私と似たような服を着ている。しかし私のような子供らしさはなく、落ち着いた女性の雰囲気を醸し出していた。何だか納得がいかない。
カリーナの目元は幸せそうに緩み、高楊枝も咥えていないから別人のようだった。
「おはようコマイ…みんなで席を立ってどうしたの?」
「いや、グララブさんの下衆さにドン引きしていた所です」
「…なんだ、いつもの事じゃない」
カリーナは小さく鼻で笑うと、キースを見て頬を赤くする。
「おはよう、キース」
「あ、あぁ…カリーナ、まだ寝てなくて大丈夫か?」
「大丈夫、お腹が空いたから起き出してきたの。あのままベッドにいたら、またキースに襲われそうだもの」
「そ、そうだな…」
カリーナは悪戯っぽく微笑むと、今度はキースが赤い顔になった。グララブはみんなを一瞥すると、腰に手を当てて口を開く。
「これでみんな揃ったな。それじゃ今日の予定でも話し合おうかの」




