王国歴1669年10月22日⑩:馬鹿じゃねぇの……
私達が乗った馬車は無事にガストロミへ到着した。先に着いた男性陣が扉を開け、シーナルがビビィに手を差し出す。ビビィはその手を握りゆっくりと馬車を降りた。それを見たヒイロが急いで馬車に駆け寄り、私に手を差し伸べてくれる。
「コマイさん、どうぞ」
「…うぅぅ…ありがとうございます…」
私は右手でヒイロの手に縋り、左手で自分のお尻を撫でた。
「ど、どうしたの?どこかでぶつけたの?」
「な、何でもないです…ちょっと痛いだけで…」
先程カリーナは私のスカートを捲り、かぼちゃパンツも降ろして直に私のお尻を平手打ちしたのだ。それは本当に容赦がなく、痣にはなっていないだろうが絶対に赤く腫れてると思う。
「まったく…こっちの手だって痛いんだから…少しは身に沁みなさいよ?」
振り返ればカリーナが赤い右手を振りながら、グララブに付き添われて馬車を降りていた。
「そういうカリーナも何だか鼻頭が赤いぞ?また泣いたんか?」
「ふん、人生勉強をしただけよ!あとで化粧室で冷やすわ」
「そ、それがえぇ…少し時間を置いた方が良いじゃろう…」
グララブの歯切れの悪さに、カリーナの表情が曇る。
「…どうしたの?」
「な、何でもないんじゃ…ほれ、化粧室まで案内するぞ?」
「…キース、もう来てるのね?」
「ま、待つんじゃ、カリーナ!」
店の中へ入ろうとするカリーナはグララブの言葉に足を止めた。グララブは苦々しい顔をしながらカリーナの視線を受け止める。
「正直に言う、キースは先に来ておる。ただし同伴者が居るらしい。そこの店員が教えてくれたわ」
その言葉に入口で待機していた店員が背筋を伸ばす。表情を崩さずに自然な素振りで視線を合わせないのは、この店員がしっかりとした教育を受けたからだと思えた。
カリーナは表情を正すとゆっくりと店員に歩み寄った。そしてハンドバッグからビロードの巾着を取り出すと小金貨2枚を店員に握らせる。
「お仕事、お疲れ様」
店員は驚く様子もなく小金貨を受け取ると、少しだけカリーナに近付き何かを囁いた。カリーナは小さく息を吐くと、こちらを振り向いて薄く笑いを浮かべる。
「どうやら娼婦を連れているみたい…高級娼館の売れっ子らしいわ」
その言葉にグララブが肩を落とす。同様にシーナルとヒイロも頭を抱えた。
「キースの奴め、いつもと変わらんのぅ…他の街でも娼婦を連れて食事に来てたわぃ」
「そ、そう言えば娼館に泊まるって言ってましたっけ…」
「キースらしいとは思いますが、今日ばかりは控えてほしかったですね…」
3者が3様の言葉を零す中、カリーナは腕組みをして微笑みを保持した。
「いいじゃない…たかが娼婦、負ける気がしないわよ」
そう言うとカリーナはゆっくりと歩を進め、店の中へ入っていく。店員は自然な動きでカリーナの前に立って先導した。その後を『天井知らず』の3人、そして私とビビィが続く。
ガストロミに訪れるのは3度目だが、同じ光景のはずなのに不思議と気持ちが落ち着かない。楽し気な客達も、上品な音楽も、品のある調度品すら神経を逆撫でしてくるような気がした。
過去2回と同じ部屋の前に到着すると、店員が扉の前で声を上げる。
「キース様、皆様がお見えになりました」
「おう、待ってたぜ!」
キースの返事を確認した店員が扉を引く。豪勢な室内ではキースと女性がテーブルに着いていた。キースは普段の貫頭衣を少しだけ乱し、隣に座る女性に見惚れているようだった。
キースの隣にいる女性は今までに見た事が無いような美女だった。胸元を大きく開けた赤いドレスを着込み、そこから覗く胸はかなり大きい。しかし太っている訳ではなく首や肩は華奢だ。波打つ赤髪は艶やかに輝き、赤い口紅と相まって白い肌を際立たせている。鼻筋は綺麗に通り、憂いを帯びた瞳と薄く微笑む口元が妖艶だ。
私から見ればカリーナも相当な美人なのだが、色香という点では美女に軍配が上がると思えた。高級娼館の売れっ子というのは伊達ではないらしい。
「悪いな、先に始めてたぜ!」
「キース!少しは状況というものを」
声を荒げたグララブを制し、カリーナは何事も無かったように室内へ踏み入った。そしてそのままキースの左隣の席に着く。
私は居ても立ってもいられず、カリーナの後を追って隣に座る。上座になるが仕方ない。ヒイロは気を遣ったのか私の隣に座ってくれた。美女の右隣にはグララブ、シーナル、ビビィと座る。
席が埋まると給仕達が飲み物を提供し始める。初顔はいないので給仕も心得ているのか、注文しなくても果実水が私の前に置かれた。
「グララブさんよぉ、いつものように乾杯の音頭を頼むぜ!」
「ふん!こんな状況で乾杯なんぞできるか!!」
「なんだよ、ルージェに失礼じゃねぇか…なぁ、ルージェ?」
ルージェと呼ばれた美女は、薄く微笑んだままキースを見た。その表情は曖昧で、肯定とも否定とも読み取れない。
「まぁいいや…それじゃ、俺の新しい女になったルージェに乾杯ぃ!」
そう宣言するとキースは勝手にジョッキのワインを煽る。カリーナは乾杯こそしなかったがグラスに口を付けたので、残りの皆も飲み物に口を付けた。しかしただ一人、ルージェだけはグラスに口を付けない。
「プハァ~、美味ェ!やっぱり綺麗な女と飲む酒は格別だな!!」
「こりゃキース!貴様、少しは空気っちゅうモンを読まんか!!」
「…んだよぉ…誰と飲もうが、誰を抱こうが、俺の勝手だろうがよぉ…」
グララブの苦言にキースが視線を逸らしつつ愚痴を溢す。その言葉に今度はシーナルが反応した。
「キース…確かに貴方が誰を抱こうが、それは貴方の自由です。しかし好意を寄せてくれる相手を無下に扱うのは、人としてどうかと思います!」
「…はん、何が”好意を寄せてくれる”だ…人の話も聞かねぇで、さっさと帰っちまうんだもんなぁ…」
キースはカリーナを見ずに悪態を吐く。その言葉にカリーナが少しだけ揺れ、俯きながら口を開いた。
「…キース、あの時はごめ」
「それに俺ぁ、最初っから気に入らなかったんだぜ?酒飲んで泣いて、何とも辛気臭いったらありゃしねぇ!それに比べてルージェは可愛いぜ!ガハハハハ!」
キースはカリーナの言葉を遮り、ベラベラと勝手な事を言い出した。そして下卑た笑い声を盛大に上げる。
カリーナはゆっくりとキースに身体を向け、頭を下げて言葉を続ける。
「…ごめんなさい…キースが怒って当然だと思う…けど、私の話を聞いてほしいの…」
カリーナの言葉にキースが初めて反応した。キースはジョッキをテーブルに叩きつけると、威嚇するようにカリーナを怒鳴りつける。
「な~にが”私の話を聞いてほしい”だ!人の話は聞かねぇで、自分の話だけ聞けってか?どんだけお偉いさんなんだよ!はッ!虫唾が走るわ!」
「ご、ごめんなさい。怒られて当然だわ…けど、私だって寂しかったのよ!」
カリーナは顔を上げてキースを見返した。その瞳には大粒の涙を溜め、今にも零れ落ちそうだった。
「優しく抱かれて嬉しかった!この人だと思った!けどあなたは…最後までしてくれなかった…何度も”いいよ”って言ったのに…子供が欲しくないんだって思った……けど、グララブに聞いたわ…それがキースの優しさだったって…私の幸せを願っての事だって!」
キースがグララブを睨んで席を立とうとするが、カリーナはキースの腕にしがみ付いて逃がさなかった。ついに涙が決壊し、ボロボロと両目から零れはじめる。
「キース…私、あなたの子供が欲しい…あなたの子供を産みたいの…前に流れてるから絶対って言えないけど………わたし……あなたと一緒に育てたいの……」
室内をカリーナの嗚咽だけが支配する。それまで料理の配膳に動いていた給仕達も、途中からは入り口横に立って微動だにしない。それは調度品のような他人の顔をし、腹立たしい程に教育が行き届いていた。
私はカリーナの助けになりたかったが、今の私には何も言えなかった。目だけを滑らせて皆を見たが、誰一人として口を開く者は居なかった。ただ静かに成り行きを見る事しか出来ないのだ。
「………馬鹿じゃねぇの……」
静寂を破ったのはキースだった。小さく呟いたキースは、カリーナの腕を小さく振り解いて席を立った。
「……可哀想だと思って……優しく抱いてやりゃ勘違いしやがって…グララブも勘違いしてんじゃねぇよ…俺はこの女の事なんて何とも思ってねぇ…後が面倒臭ぇから中で果てなかっただけだ…これだから娼婦以外は面倒臭くて嫌だぜ……」
「……キース……そんな事…言わないで……」
「これ以上、囀るんじゃねぇ…気分が悪い……グララブさんよ、俺は他の店で飲み直すわ。ルージェ、付いてこい」
キースに呼ばれたルージェが静かに席を立つ。
しかしその身体は入り口を向かず、正面からキースの前に立ち塞がった。そして右手をキースの胸元に置き、爪先立ちでキースの顔に迫る。それはまるでキスを迫る仕草だった。
「な、何を」
キースが逃げるように上体を逸らすと、ルージェがトンッと胸元を押した。平衡を崩したキースが再び椅子に座り込む。
ルージェはキースを見下ろしながらテーブルのボトルを手に取ると、徐に栓を開けてキースの頭にワインを浴びせかけた。
「アタイを焚き付けに使うんじゃねぇよ…」




