王国歴1669年10月22日⑪:私じゃないのかーーーーーーー!
ルージェはキースを見下ろしながらテーブルのボトルを手に取ると、徐に栓を開けてキースの頭にワインを浴びせかけた。
「アタイを焚き付けに使うんじゃねぇよ…」
浅黄色の貫頭衣がワインで濡れていく。キースは呆気に取られていたが、ワナワナと肩を震わせるとルージェを睨みつけた。
「…な、何しやがるッ!」
ルージェはキースの言葉を無視して素早くボトルを振り上げる。するとキースが左手を伸ばし背後のカリーナを咄嗟に庇った。
それを見たルージェが下らなそうに顔を歪め、勢いよく息を吐く。
「ハンッ!とんだ噛ませ犬だ!こんな話、聞いてないよ!」
ルージェはボトルをテーブルに戻し、胸を張ると全体を見回した。視線が合ったのかグララブが肩を竦め、シーナルは眉を歪める。私は数に入らなかったのか視線が合う事は無かった。
「”一緒に食事を”と同伴してみれば”俺の女”だぁ?金で買った女を誇るんじゃないよ!アタイは身体は売っても心までは売ってないんだ!そこまで安い女じゃない!それに何だい、別れ話かい?それでいて戯曲のような臭い場面たぁ、こっちの鼻が曲がりそうだ!それにアタイを勝手に配役すんじゃないわよ!アタイは降ろさせてもらうわ…金はほら、ここに置いていくからね」
そう言うとルージェは椅子に置いてあった赤のハンドバックを手に取ると、中から十数枚の小金貨をテーブルにぶちまけた。そしてそのまま扉へと向かうが、その手前でカリーナに振り返る。
「そこのアンタ…刺されたかないから言っとくけど、ソイツはアタイに指一本触れてないよ。開店前に店に来たかと思えば、金だけ払って部屋に閉じ籠っちまったんだ。客だから何も言わずに放っておいたけど、アタイの乳も揉まなけりゃ抱きもしない…娼婦の矜持はズタボロさ!」
そう言われたカリーナは、ルージェとキースを交互に見た。キースはバツの悪そうな顔をして部屋の隅に視線を逃がす。
ルージェはその様子に少しだけ怒りを緩めると、大きく息を吸って言葉を続ける。
「アタイはこの身体で客を笑顔にしてんだ!泣いてる客だって受け入れる!失恋だって癒してやるさ!けど未練を薄めるために来るんじゃないよ!せめてアタイを抱きやがれ、このカス!それにそこのアンタ、自分の男の面倒ぐらい見やがれ!クソ迷惑だ!」
ルージェは啖呵を切ると扉に向き直り、それと同時に店員が扉を押し開いた。この店は本当に教育が行き届いている。
廊下に出たルージェが振り返る。その顔には妖艶さが戻っていた。
「それではごきげんよう、皆様の幸せを祈っておりますわ」
ルージュは小さく手を振ると、店員が扉を静かに閉めた。
扉が締められると、部屋の中に静寂が訪れた。すでにカリーナの嗚咽も聞こえない。誰も口を開く事が出来なかったが、その静寂の中でカリーナが動いた。カリーナはキースの背中に抱きつくと、その広い背中に顔を埋める。
「…キース…ありがとう…庇ってくれて……」
「………ばかやろう………感謝なんか…するんじゃねぇよ……」
「キース、私……キースと家庭を持ちたい…一緒に生きていきたい…」
「カリーナ…その言葉は嬉しいが…俺ではお前を幸せに出来ねぇ…約束できねぇんだ」
「どうして?どうしてなの?」
「カリーナ、聞いてくれ…こればっかりは約束できねぇ…さすがに今度は」
「は~い、お二人さん!深い話は二人っきりでした方がいいんじゃないかな?」
不意に立ち上がったグララブは、キースとカリーナに明るい声を掛けた。我に戻った2人は皆の視線に気付き、申し合わせたように顔を真っ赤にする。
「積もる話もあるだろうし、後は2人で話すべきだよ!店員さ~ん、馬車を呼んでおいて!」
グララブの視線を受けた給仕の一人が静かに部屋を出ていった。それと同時に他の給仕が料理を並べ始める。
「さて、取り敢えずは仲直りしてよかったね!馬車が来るまでだけど皆で乾杯しようよ!ほら、グラスを持って!」
グララブの言葉に、皆がおずおずとグラスを手に取る。キースもカリーナも困惑しながら椅子に座った。それを見たグララブはテーブルに乗り出すと勢いよくグラスを上げる。
「それではカリーナ嬢の幸せを願って…乾ぱ~いッ!」
皆がグラスを上げる。無言だったが、その顔は明るくなっていた。私も小さくグラスを上げると果実水を口に含んだ。酒精が入ってないのが少しだけ寂しい。
グララブはキースの隣に席を移動すると、私とキースとカリーナを交互に見た。
「しっかしハラハラしたよ!このままキースとカリーナが別れたら、コマイちゃんが悪者になる所だったよね!」
「…ふふ、そうかもね…あのまま別れてたら後悔してただろうし、切欠となったコマイを心のどこかで恨んでしまったかもしれないわね」
そう言うとカリーナは半眼になり、悪戯な笑顔を私に向けてきた。
「え?えぇ?い、嫌ですよカリーナさん、恨まないでください!」
「…いや、残り日数を言い出せなかった俺も悪い…あのままだったらカリーナに言えずに、騙すように街を出ていっただろうしな。”カリーナを連れてくる”って言ってくれて…その…ありがとよ……」
キースはナプキンで頭を拭きながら、少しだけ視線を逸らして感謝してくれた。私は2人の役に立てたと感じ、嬉しくて自然と顔が綻んでくる。
「え、えへへ、もしかして私…女神の使いみたいに2人の仲を取り持っちゃいましたかね?」
「そ、そこまでは言わねぇけど…まぁ、ありがとな…今回は本腰入れて考えなきゃいけねぇって思い知らされたしよ…」
キースがジョッキにワインを注ぎながら呟く。カリーナはキースの左手に手を被せ、キースを見上げた。
「…キース…私一人だったら…きっと過去に囚われて諦めてたと思う…本当に、皆に助けられたと思うわ…グララブにも、ビビィにも…」
「…そうか…俺もカリーナを突き放しちまう所だった…本当に周りに助けられたよ…もっと感謝しねぇといけねぇな…世話になった人には、特にな…」
「…え?それって!?」
2人の話を聞きながら、私の顔はさらに緩んでいく。2人は視線を交わしながら頷き、口を開く。
「ルージェさんには感謝しなきゃね」
「あぁ、変に巻き込んじまったからな…機会を作って挨拶に行くか」
「私じゃないのかーーーーーーー!」
私は恥ずかしさに身を捩ってテーブルに突っ伏した。
「いや…この部屋に入ってからコマイは何もしてねぇだろ?」
「分かった上で悪役をしてくれたルージェさんには、本当に感謝してるわ」
「た、確かにそうだけど、ほら!お互いに会って欲しいとお願いしたのは私ですよね!?」
「そりゃそうだが…最初だけだな」
「私の方は最初と……牛の話だけね」
「うぅぬむぐぅぬ~!」
私が行き場の無い感情に苦しんでいると、ヒイロが優しく語り掛けてくれた。
「俺はコマイさんも役割を果たしたと思うんだ」
「ひ、ヒイロさん!」
「あの場で何か言ってたら全部台無しにしてたと思う。だから何も喋らなかったのが正解だと思うよ?」
「うわぁぁぁぁぁァァァァァッ!!」
私はヒイロのフォローに号泣した。




