王国歴1669年10月22日⑧:持ち帰って慎重に
汗が引いた私達は個室浴場を後にし、足取りも軽く宿へと向かった。夕焼けの気配がする街を歩いていると、家々から美味しそうな匂いが漂ってくる。
私達は個室浴場で時間を使ったので昼食を食べていない。当然のように私のお腹が可愛い音を立てるのだが、カリーナから「ぽっこりお腹で初夜を迎えたいの?お昼を抜いて、夜も少なめに控えるのよ!」と忠告されたので我慢する事にする。
宿に着くとグララブがロビーで何かの手続きをしていた。
「あれ?グララブさん、どうしたんですか?」
「なに、部屋を変えてもらってたんじゃ。儂も二人部屋にしようかと思ってな」
「一人で寝るのに…ですか?」
「寂しい事を言うのぅ…キースにカリーナ、シーナルにビビィ嬢、ヒイロに嬢ちゃんと皆して楽しんどる…儂も本腰を入れて女性を誘おうと思っての!」
そう言うとグララブは自分の肩を抱き、クネクネと身体を動かした。仕草は可愛いが表情が気持ち悪く、私は思わずドン引きしてしまう。
「あ~…まぁ、頑張ってください…」
「気の無い返事じゃのう…そうだ嬢ちゃんにカリーナ、儂好みの女性を知らんか?」
「グララブの好みってどんなのよ?恩もあるし、一応聞いてあげるわ」
カリーナが高楊枝を揺らしながら問い返した。グララブは腕組みし、顎に手を当てて真剣な表情になる。
「そうじゃの…年の頃なら40前後、細身で姿勢が良く、できれば少し白髪交じり、女性としての喜びを諦めてそうな幸の薄そうな女性じゃ。もちろん独身で常識や倫理観がしっかりとした女性なら最高じゃの!」
「か、変わった趣味ですね…」
「ふふふ、そんな女性を輝かせるのが楽しいんじゃ!枯れかけた花に儂が潤いを与える…そして再び花開く、その一瞬の輝きが堪らん!儂のような子供に迫られ、不道徳に身悶えする姿が見たいんじゃ!」
「うわ、最悪だわ…」
「何を言う!加齢は人間のみの特権!儂等は100歳越えても外見が変わらんから面白く無い!やはり人間相手なら、老いを感じる脂の抜けきった女性が一番じゃ!」
私とカリーナは一歩下がってドン引きしたのだが、ふと私の頭に一人の女性が浮かんできた。
「…あ、そう言えば…グララブさんの条件に当て嵌まる人がいますね…」
「何!?本当か、嬢ちゃん!!」
「うぇ!!お、教えない方がいいかな……」
「そんな冷たい事を言うな!嬢ちゃんの事は黙っておくし、迷惑は掛けん!それとも何か?小遣いか?小遣いが欲しいんか!!」
グララブが鼻息を荒くしつつ、巾着から小金貨を取り出す。私は握らされた小金貨の感触に満足しつつ仕方なく口を開いた。
「えっと……ナーナっていう、ゲッスーナ家に昔から仕えているメイド長ですけど…」
「あぁ…ナーナかぁ……確かにグララブの条件には合ってるかも……」
私の言葉にカリーナが頭を掻く。
ナーナはゲッスーナ家のメイド長だ。
顔立ちは綺麗なのだが、残念な事に血色の悪さと無表情のせいで女性らしさが損なわれている。線が細くて伏し目がち、手入れされていない黒髪には白髪が混じり、色白の顔は笑顔どころか表情が変わった所を見た事が無い。
メイド達には口煩く指導しないのだが、真面目に仕事をし続ける姿勢が息苦しく、ナーナの前では手抜きできない雰囲気がある。仕事について指導を仰ぐ事はあっても個人的な話をした事は無い。何となく人を避けている雰囲気があるのだ。
当然だが私の知る限り、浮いた噂も聞いた事がない。コーモノ様が38歳と言っていたし、グララブの希望にバッチリ当て嵌まる人物だろう。
「たしか、コーモノの奥様の遠縁の親戚で、子息チルディの乳母だったはず…5年前に12歳になったチルディが王都の学校へ入学して、それからずっと暗いみたいね…」
「へぇ、乳母だったんですかぁ…私、チルディさんって人も知らないです」
「私とナーナは仲が良くないのよねぇ…愛人と奥様側の人間じゃ仕方ないけど…子無しの乳母だから嫌えないのよ……」
「何かあるんですか?」
「コマイ…乳母って母乳を飲ませる人よ?その乳母が子無しの意味が分かる?」
「……あ……」
カリーナの言葉に私は唐突に理解した。ナーナは子供を産んだが母乳をあげられなかった女性なのだ。それは恐らく不幸な理由だろうとすぐに想像できた。
「そうか、不幸な女性か……益々もって胸が躍るわい!」
「な、何か怖い…」
「グララブ…まさか遊んで捨てるとか言わないでしょうね?」
カリーナが高楊枝をガリリッと噛んでグララブを睨んだ。その剣幕にグララブが少しだけ怯む。
「な、なんじゃい、怖い顔をしおって…儂は女である事を忘れた女を、女に戻すだけじゃ。まぁ…焦らして焦らして焦らしまくって、トロトロの女の顔になったら食べるかもしれんが、それまでは何もせんわい…」
「ナーナが元気になるのは賛成だけど、食べるんだったら最後まで面倒見なさいよ?」
「そ、それは遠慮するわ…まぁ、女を思い出させるまでが楽しいんであって、ヤる事が目的ではないからの…先っちょで我慢するかの」
「先っちょも駄目!」
私は2人の会話を聞いていたが、その内容は全然理解できなかった。
そのままロビーで話すのも疲れたので食堂へ移動すると、奥のテーブルでシーナルとビビィが座っているのが見えた。その前にはビビィ愛用の手帳とティーセットが置かれている。
「ビビィ先輩!」
「あ、コマイちゃん!」
私が駆け寄ると、ビビィは手帳から顔を上げて私を見る。そして私の後ろでグララブと言い争うカリーナの姿を確認し、胸に手を当てて微笑んだ。
「良かったなぁ、コマイちゃん…カリーナさん、来てくれただな」
「はい!良く分からないけど、何だか上手くいきました!」
「ふふ、コマイちゃんらしいなぁ」
そう言うとビビィは椅子から立ち上がり、カリーナに頭を下げた。
「こんにちは、カリーナさん。ちゃんと話した事はないですけどぉ、これからは仲良くしてくださいね」
「あ、えっと…こ、こちらこそ宜しく…」
カリーナは急いで高楊枝を外すと、急いで頭を下げた。
「お互い冒険者の旦那を持つ事になりますけどぉ、助け合っていきましょう」
「え、あ、その……う、うん……」
ビビィの宣言にカリーナの頬が真っ赤になる。グララブと私は驚いたが、シーナルはニコニコするばかりだった。
「え!?ビビィ先輩、シーナルさんと結婚するんですか!?」
「うん、ちゃんと結婚してシーナルを待つ事に決めただ。もう子作りもしてるだよ?」
「き、昨日の今日ですよ!紹介した私が言うのも何ですが、早過ぎませんか!?」
「シーナルとはちゃんと話し合ったし、そんで好きになったし、もう迷う事は何もねぇ。そんなら早い方がいぃべ?機会は多い方が絶対にえぇからな」
「あ、あんた…いい性格してるわね……」
「ふふ、カリーナさんも迷ってる暇なんてねぇべ?」
「そ、そりゃまぁ…そうだけど……」
カリーナは頬を掻きながら視線を泳がせた。そんな様子にビビィが胸を叩く。
「大丈夫だぁ!みんなで力を合わせれば、出来ねぇ事は何もねぇ!カリーナさんもコマイちゃんも、一緒に『天井知らず』を盛り立てていくだよ!」
「わ、私もですか!?」
私は突然に自分の名前が出てきたので驚いてしまった。私の驚きにビビィがキョトンとして、マジマジと私の方を見る。
「何だ、コマイちゃん?ヒイロさんの事、好きでねぇの?」
「え、あの、その…ヒイロさんの事は…良いなぁ…とは…思ってますけど……」
「コマイ、玉の輿を狙ってたんでしょ?良い相手じゃない?」
「そ、それはそうですけど、その件に関しましては持ち帰って慎重に検討したいと…」
「あれ?みんな、ここに居たんだ」
「ィヒャッ!!!」
振り向くと汗拭きで頭を拭くヒイロが立っていた。首筋や腕には汗が流れ、薄手のシャツは厚い胸板に張り付いている。
「ひ、ヒイロさん!」
「ん?どうしたの、コマイさん」
「い、いや、何でもないですけど!いま、ちょうど、ヒイロさんの事を話してて…」
「いや、ヒイロの事というか、コマイとヒイロの事を話してたのよ」
「んだ、ヒイロさん、コマイちゃんの事をどう思ってるだか?」
「え、あの、その…コマイさんの事は前向きに検討しつつ注意深く善処したいと…」
それまで男らしかったヒイロが顔を赤くして、指をモジモジさせ始めた。その様子にカリーナとビビィがジト目になり、何だか私も冷静になる。
「コマイ…ヒイロから動く事は絶対にないからね?」
「コマイちゃん…大変だと思うけどぉ、自分で切欠を作るしかねぇな…」
「あ、うん、はい…頑張ります」
私はフレッキから貰ったネグリジェを思い出しながら、あれを着るしかないのかと頭を悩ませた。




