王国歴1669年10月22日③:醒めるとツライ
グララブがコーモノから小金貨を受け取ると、私の案内でカリーナの部屋の前まで来た。カリーナの部屋にコーモノは同行しなかった。とりあえず私と『天井知らず』が良好な関係だと知り、カリーナに期待しなくなったからかもしれない。
「カリーナさん…私です、コマイです」
私の問い掛けに返答はなかった。するとグララブが扉に近付き、喉元と口元を抑えながら咳払いをする。
「…ぁ~……俺だ、カリーナ……」
グララブが小さく漏らした声は、キースの声色にそっくりだった。言葉が短い上に小声で聞き取りづらい事もあり、目の前で聞いていなければ勘違いしてしまいそうなぐらい似ていた。
その声が届いたからだろうか、途端に部屋の中が慌ただしくなる。室内を裸足で駆け回るような、鏡台の前で化粧品を探るような、服を着替えているような、そんなバタバタとした気配が感じられた。
それが落ち着くと気配は扉の前で立ち止まり、数瞬の躊躇を持ってカチャリと扉が開く。
「何しに来たのよ、キー」
「すまんの、悪いがキースは来ておらんのじゃ」
カリーナはグララブの顔を見ると急いで扉を閉めようとした。しかしそれよりも早くグララブが右足を扉の間に差し込む。扉が軋むぐらいの勢いだったが、補強されたブーツで痛くないようだった。
「何よ!私を笑いに来たの!?」
「そう喚くな、カリーナ…いい女が台無しじゃぞ?」
グララブの意地悪な笑みに、カリーナは溜息を吐いて脱力する。そして扉から手を放すと部屋の中に戻っていった。グララブは扉を押し開けると私達を顎で招く。部屋の床には昨日の服と靴が散乱し、整頓されていた化粧品も無残に転がっていた。
「悪い、カリーナ。騙し討ちをした」
「…別にいいわ、騙された私が馬鹿なのよ」
薄着のカリーナは躊躇なく手足を晒しながら、ベッドの縁に腰を下ろす。グララブは鏡台の椅子を引くと逆向きに座り、私はその横に立った。ヒイロは女性の部屋に緊張しているのか、それとも目のやり場に困ったのか、壁を向いて直立不動の体勢で固まる。
「…それでグララブ様とヒイロ様、そしてコマイ様が揃って、私に何の用ですか?」
「カリーナ、お前はいい女じゃ…話し合いぐらい、ちゃんとしたらどうじゃ?」
「ちゃんとも何も、別れは別れよ。喧嘩別れの方が未練がないわ」
カリーナは鼻で笑い、高楊枝を緩やかに上下させる。そして半眼を私に向けると、表情を緩めて声を掛けてきた。
「カリカリしててゴメンね。コマイが言ってくれたから良い切欠になったわ。もともと遊びだったんだし、別れはいつか来るものだし…いい頃合いだし、感謝してるくらいよ?」
私はカリーナの言葉に何かを感じたが、それが何か分からなかった。しかし私の伝えるべき言葉は変わらない。
「カリーナさん…キースさんと、その…話したくはないですか?」
私の言葉に高楊枝が止まる。
「今夜、ガストロミに来てください…キースさんも、きっと待ってます…」
カリーナはカリリと高楊枝を噛むと、両腕を組んで私を睨みつけた。
「キースとは遊びだったのよ、何度も言わせないで」
「それでも…やっぱり話し合うべきだと思います」
「男も知らねぇガキが、知った風な口を利くんじゃないよ!」
「カリーナさん!話を聞いてください!!」
「もう喋るな!部屋から出てけッ!!」
そう言うとカリーナはベッドに横になり、掛け布を頭から引っ被ってしまった。私はベッドに駆け寄ろうとしたが、その前にグララブが右手で制止してくる。
「……く、くくく…ははははッ!」
グララブはその右手で自分の視界を覆い、天を仰ぎながら肩を震わせて笑った。それこそ遠慮の欠片もなく、さも愉快そうに盛大に笑う。
カリーナは耐えられなくなったのか、飛び起きてキースを強く睨んだ。
「なッ……何が可笑しいのよ!?」
「こ、これが笑わずにいられるか!まさかここまでとは思わなんだッ!!」
私が2人を交互に見ていると、グララブが左手で膝を叩き、右手でカリーナを指差した。
「全く同じじゃ!キースもカリーナも、言ってる事から怒り方まで全く同じじゃ!」
「!!!」
グララブの指摘にカリーナが言葉を失う。そして悔しそうに顔を歪ませると、力を無くして項垂れた。
私はグララブの言葉に、さっき感じていた違和感を理解した。カリーナもキースも、まるで打ち合わせたように同じ反論をしていたのだ。
「ここに来るまでにお前らの事を思わず”鏡に映したよう”と評したんじゃが、あながち間違いではなかったようじゃな」
「そ、それがどうしたのよ!」
「分からんか?キースも、今のお前と同じ事を想っているはずなんじゃ」
「………」
再びカリーナが言葉を失う。しかし今度は歯を食い縛り、涙を殺しているように見えた。
「人の恋路に深入りするつもりはない…ただ、カリーナに心残りがあるように、キースもまた心残りを持っておる…こんな気持ちで任務に挑んでは、下手をすると命を落としてしまう…儂は、それだけは避けたいんじゃ……」
グララブの言葉にカリーナが涙を零す。そしてそれを隠そうともしなかった。
「…やっと…止まったと思ったのに……もう…期待させないでよ……ァアアァァァ……」
カリーナはそのままベッドに突っ伏し、声を殺さずに泣き始めた。
カリーナが泣き止むまで、それほど長い時間は必要なかった。気が晴れたのかカリーナがベッドから頭を上げる。顔と掛け布は涙と鼻水でドロドロになっており、私は鏡台に置いてあったタオルを取るとカリーナに手渡した。
「あ、ありがとう…ブ、ブヴェヴォヴェ……はぁ、すっきりした……」
カリーナはタオルで思い切り鼻を擤むと、大きく息を吐いた。髪はボサボサ、目は腫れあがり、頬から耳まで真っ赤になっている。そこには昨日までの大人の女は居らず、肩肘から力の抜けた自然体のカリーナだけが居た。
「すまんのカリーナ、こっちの都合を押し付けて……本当に好きなんじゃな…」
グララブは椅子に座ったまま、背凭れに頬杖しながら優しい声を掛けた。
「そうね、キースの事は大好きよ…キースが優しいから、勘違いしちゃったわ」
「…キースさんって優しいんですか?言葉遣いが荒いから、そうは見えませんけど…」
カリーナがベッドに転がっていた高楊枝を手に取り、それを両手で弄んだ。そしてそれを眺めながら優しく微笑んで口を開く。
「それはもう、今までの男で一番優しかった…あんな粗暴な喋り方だけど、ベッドの中ではお姫様扱いしてくれたの。私の気持ちを優先してくれるし、包み込むように抱きしめてくれるし、終わった後も腕枕してくれて…私が寝るまで頭を撫でてくれた…その時は思わず、縋り付いて泣いちゃったわよ」
カリーナが小さな溜息を漏らす。その顔は幸せそうであり、寂しそうでもあった。
「ただの夜の相手じゃない…一人の女として扱ってくれたと思った…けどね……私が何度も”いいよ”って伝えても、キースは中で果てなかったのよ」
私はその言葉を理解できなかったが、グララブは視線を逸らし、ヒイロは両耳を塞ぐ。
「最初は私の身体を気遣っての事だと思ったわ…けどね、それを何度もされると……キースは私との間に子供なんて欲しくない…そう感じちゃったの…」
カリーナの言葉から想像すると、どうやら交合にも色々あるらしい。交合したら子供が出来ると、そして家族になると思っていただけに、私は少なからず衝撃を受けた。
「そうなると”あぁ、この人とは家庭を築けないんだ”って寂しくなっちゃってね…昨日なんて廊下で泣いちゃって、コマイに恥ずかしい所を見られちゃったわ……」
カリーナの視線が私を捕まえた。私は身が竦みそうになったが、真正面から受け止める。するとカリーナの目が笑い、再び小さくため息を漏らした。
「コマイから”あと9日”って聞いて、納得しちゃった…私には大切な話をしてくれない、ただの夜の相手だったんだって……はぁ…いい夢って、醒めるとツライのよねぇ……」
カリーナが無造作に頭を掻く。そして三度溜息を吐くと膝を叩いた。
「よしッ!ここはこのカリーナさんが、きちんとキースに別れを告げますか!楽しかったよって、頑張ってねって!!」
「……カリーナさん……」
カリーナの浮かべた笑顔に、私はズキズキと心が痛んだ。しかし私の中に答えはなく、口を開いても何も言えそうにない。
グララブはカリーナの宣言を静かに聞いていたが、半眼になると大きく息を吐いた。
「はぁ………嬢ちゃんに当てられたか、儂まで女神の使いみたいな事をせにゃならんとは…人の恋路なんてどうでもよいが……カリーナ、儂は”別れろ”とは一言も言っとらんぞ!」
グララブの怒声に、カリーナは目をパチクリさせた。




