【幕間】言葉のかたち、世界のかたち
表現の実験で会話だけで話を進めてみました。どうでしょう?
「少年、やるじゃないか」
「え」
「プレプリントサーバーの論文を読んだよ。やったじゃないか」
「あ、ありがとうございます?」
「いや、しかし痛快だったな。」
「え、何がですか?」
「あれほどの概念を、たったひとつの数式──「0.999... = 1」で展開するとはね。痛快だったよ、プッ。つい笑っちゃったよ。」
「えー、ホメてるんですか?けなしてるんですか?」
「もちろん褒めてるよ。この業界は格式張って難しいことをありがたがるからね。簡単な数式であそこまで論理展開できるのだからアッパレだよ。」
「あ、ありがとうございます。」
「で、英文での投稿は考えてるかい?」
「いや英語苦手なんで考えてないです。」
「そうか。面白い着想だから結構反応があると思たのだけどな。英語以外の論文が相手にされないのは癪だが、まあ仕方ないか。」
「そうなんですよ。なんで英語ばかりが優遇されているんですか? 覇権国の言語だったからですか? ずるいですよね?」
「あはは。確かにその側面はあるけれど、それだけじゃない。
英語の元になった言語は、大陸で生まれ、民族が交錯する混沌の中で育った。だからこそ、“自分が何者で”“何を望むか”を、はっきり言葉にしなければならなかったんだ。明示と合意の文化だね。だから、学術論文や古典的なプログラミングにもぴったりだった。」
「ふーん…。でも、それって裏を返せば『共存のために争いを避ける言語』じゃなくて、『誤解を防ぐために断言する言語』ってことですよね?」
「その通り。英語をはじめとする欧米の言語は、選び、分けることを前提に進化した言語だ。その意味では、世界を“断定”しようとする構造を内包している。YesかNoか、正か誤か。
そして、YesかNoかそれしか選べない言語では、いつか“争い”しか残らなくなる。“違い”を受け入れられなければ、異なる存在を排除するしかないからね。君もSNSで炎上してる論争、見たことあるだろう? “はっきり言った方が正義”って価値観が、いつの間にか“異なる考えを認めない”態度に変わっていく。
争いを避けるために、はっきり言葉にする文化が、逆に争いを生む土壌になっているのは皮肉だね。」
「……それって、私たちが“間違った進化”をしてきたってことなんですか?」
「そう選択せざるを得なかった事さ。分かっていると思うが、欧米人が劣っているという事ではないよ。 言葉はただの道具ではない。無意識のうちに、ものの見方まで決めてしまう。言語に含まれる構造が『自然な形での共存』という概念を育みにくいというだけさ。その概念を得た偉人はいくらでもいるからね。」
「曖昧な表現で会話する日本語って、もしかしてかなり特殊ですか?」
博士はニヤリとし、
「物事を考える時には、頭の中で言葉によって考えるだろう? 曖昧な日本語について、自分で調べるのも勉強になるぞ。」
それ以上は答えてくれなかった。
僕は以前の博士との会話を思い出していた。
「つまり、“曖昧さを残したまま動ける”のが量子で……“曖昧なまま伝える”のが日本語……ってことですか?」
自分でもよくわからないまま、でも確かに「なにか」をつかんだ気がしていた。
アキラはあくまでも雑用アルバイトで、研究員ではないので、論文の投稿あたっては博士を頼ってはいません。
博士も相談がなかった事に何も不快感を感じていません。
自然な形で信頼関係がある、結構いい感じの関係?に感じていただけると嬉しく思います。




