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025:物干し竿くん


 迷宮へ足を一歩踏み出すとき、俺はいつだって心と身体が震えていた。


 それが武者震いなら良かったんだけどな。背後にあるセーフルームの扉が閉まると、何だか背筋がヒュンってなる。この後戻りできない感覚が苦手だ。その感覚を拭うために毎度の如く地面に転がっていた相棒を拾って、思うがままに振り回した。


「なるほどな。これがアスリート級の感覚か」


 両手で、片手で、一通りの基本動作をこなす。


 風切り音だけで上手く振れていることがわかる。棒を振り回すことに対する違和感がない。トン、トンとその場でリズムを取って軽く突きを放つ。相棒をじっくりと引き絞ってから体全体を使って勢い良く突き刺す。


 良い感じだ。凄く身体が軽い。こんな気持初めて。でもないか。


 さて、次は格闘訓練だ。


 今回はネズミモドキを中心に相手をする。なので重点的に蹴り技を反復した。足元にある物を蹴り上げる系の技だ。いや、技だなんて大層なものじゃないか。単にサッカーボールを遠くに蹴るようなものだ。足に引っ付いたネズミモドキを剥がすために遠心力を利用した回転蹴りも重要となる。


 体幹が大事だ。格闘系の動きはどうしても無茶な姿勢を取りがちになる。もちろん、俺が素人だからってのもある。それでも、どうにかしてどんな姿勢でもバランスを取れるように意識はしていた。


 おっと、イヌモドキが湧いたようだ。すぐ前方のL字の角から奴の気配を感じ取った。まあ、気配というより爪が地面を引っ掻く音とか、生き物の呼吸音が聞こえただけともいう。


 いつも通りにぬるりと角から顔を出して「ガルルッ」と挨拶を交わしてくる。いつも通りに敵意と殺意を俺に向けて突っ走るイヌモドキ。俺もいつも通りにタイミングを会わせて地面を蹴った。


 空中で蹴り上げる技に何か名前って付いてるのだろうか。


 上手いこと顎下に蹴りを決めると、なんとイヌモドキの身体は天井まで届いてしまった。俺が先に着地すると、丁度蹴りやすい位置に落下してきそうだったので、これまたタイミングを会わせて回し蹴りを決めてみた。


 今度は迷宮の壁に叩きつけられるイヌモドキさん。とどめを刺す必要はない。お前はもう死んでいる。いつもだったらこれで終わりなのだが、俺は嫌々ながらもイヌモドキの遺体に近づいた。


「正当防衛、正当防衛。俺は悪くない。……ぬわぁ、まだ生暖かい」


 俺がイヌモドキの遺体を抱えると、ポンっと音を立てて消え去った。その代わりにドロップ品が手に残る。


「なんじゃこれ」


 てっきり足に付ける装着具が貰えると思っていたが、手に入れたのはイヌ耳カチューシャだった。


『可愛いでしょ? 付けてみてよ』

「……ハズっ」

『そんなこと言わない言わない。きっと似合うってば。ちゃんと特殊効果付きだよ?』

「じゃあ付ける」

『シズクって実用主義だよね、意外と』


 カレンに言われるままイヌ耳カチューシャを頭に装着してみた。すると。


「お、え? 何だこれ。へー、面白いなっ」


 この先を進むとT字路があるのだが、そこを右に進んだ先にイヌモドキが一匹いることが何となくわかった。引っ掻き音が聞こえる。しかもそれがイヌモドキ特有のモノだということも理解できた。


 変な感覚だ。自分の聴覚が拡張されている。初めての経験だった。


『えっへん、お楽しみ要素も追加してみました。こういう特殊効果付きのアイテムもドロップするよ。今回はサービスだから確定です。どう? シズク。あと、すっごく似合ってるよ。かわいいっ』


「いいな、肉体の感覚器官を拡張するアイテムなんて凄え魔法っぽい。報酬としても十分悪くない。遺体を抱える必要があるって点を除けばな。あと、別にかわいいって言われても嬉しくなんかないんだからね!」


『うーん、そうだね』


 スルーされた。


『シズクもそろそろ生き物の遺体に慣れてきたようだし。条件を緩和しようかな。これからは抱えなくてもいいよ。但し、遺体は直視するように。ボクからは以上です。じゃ、頑張ってね。シズク』


 それを最後にカレンの気配が遠ざかった。お喋りタイムはここまでのようだ。先へと進む前に、一番重要なスキルを発動させておく。俺は<マッピング>を意識した。


「おおっ、何度見ても達成感があるな。中央エリアは南側を除いて完璧だ。東エリアもほぼ埋まってる。西、北西、北の最端は空白だ。そりゃそうだよな。探索してないんだから」


 <マッピング>のスキルはセーフルームで何度も確かめているはずなのに、見る度に新鮮な驚きと嬉しさが湧き起こる。今までの歩んだ足跡がこうして目に見えてわかるのがホントに感慨深い。


 まずは表示される地図の縮尺や大きさと位置を調整してみた。


「んー、思った以上に邪魔だな。消しとくのもありかもしれない」


 こうして迷宮内で使ってみてわかったがずっと表示し続ける必要性をあまり感じなかった。むしろ視界に入っていると邪魔な感じだ。これが潜入ミッションとかなら話は別だと思う。常に自分の位置と目的地の場所を知る必要があるからだ。


 しかし、迷宮探索では常に表示する必要はなさそうだ。気になったら表示する程度で良い気がする。むしろ頭の中で思い浮かべるだけで十分か。


 表示画面を一度消して、俺は再度、現在地を頭の中で意識した。


「いいね。これで十分だ。そういえばメモ機能も使えるんだっけか。これでカウンティングできるか試してみよう。……ネズミモドキっと。良し、メモ機能もバッチリだな」


 というわけで、確認作業は終了だ。

 いざ、行かん。ネズミモドキ駆除の探索へ。





 わかっていた。わかってはいたことだが、マッピングが楽しー。


 現在、マップを埋めるように北進中だ。何故、西に向かわないのかというと無駄にネズミモドキを狩らないためだ。狩るのはマップを埋めてからでもいいしな。


 出現傾向はわかっている範囲と推測でこんな比率となっている。


 北:イヌモドキ:ネズミモドキ:ネコモドキが2:1:1

 北西:イヌモドキ:ネズミモドキが1:1

 西:ネズミモドキ:ウサギモドキ:イヌモドキが2:1:1


 4体以上の編成は今のところ見かけていない。つまり2:1だ。1はネズミモドキかネコモドキのどちらかが一匹ということである。


「うへー」


 自分であらためて比率を確認すると、少し嫌な事実に気づいた。そうか比率的にはこうなるのか。もしも西側にも南側へと繋がる通路があれば、ウサギモドキと遭遇してしまうのか。


 くそ、ウサギモドキには会いたくないのにな。


 けれど、不幸中の幸いか経験則が正しければウサギモドキは1匹で現れる確率が高い。それに期待して気持ちを軽くしておくのも悪くはないだろう。例外ケースに遭遇したらその時はその時の俺に期待しておこう。


 イヌモドキに関しては既に戦法を確立してある。


 <突進・相棒突き>を乱用するので疲労は溜まるが、複数匹で現れても無傷で倒せる。ドロップは二つあった。足に装着するタイプの言わば工事現場で履く安全靴のような物だ。運動靴を履いたまま爪先から足首にセットできる。爪先にイヌモドキの鋭いキバが尖っている。


 これで蹴るようにして噛み付けということなのだろうか。設計者のカレンさん、爪先で蹴ったらすっごく痛そうなんだけど。そう思ってイジってみたらファングを爪先から足の甲へと移動させることができた。


 なるほど、これで蹴り飛ばせば貫通攻撃を与えられるってことか。


 これは攻撃力上昇装備品に分類だな。ファング足と名付けよう。イヌ耳の奴は補助アイテムに分類しておく。


 そして、思いがけず先にイヌモドキの部屋まで辿り着いてしまった。イヌ耳の感知効果のおかげで効率よく複数匹の編成を回避してスムーズに進めることができたからだ。


 恐らくここが最北端だ。そうであってほしい。まず通路よりも広めな空間――小空間と呼称――がある。小空間は北側に扉があり、西と南と東に通路が繋がっていた。


 現在のカウンティングはこうだ。


 イヌモドキ:7  ドロップ:3(イヌ耳1:ファング足2)

 ネコモドキ:1  ドロップ:0

 ネズミモドキ:1 ドロップ:0

 ウサギモドキ:0 ドロップ:0


 周囲にモドキの気配がないことを確認して俺は小空間の中央へ足を運ぶ。ネコ部屋の前にあったものは何か? 短棒だ。では、イヌ部屋の前に落ちていたものとは果たして……!?


「長い棒、略して長棒か。物干し竿でもいいな。どっちにしよう」


 そこにあったのは相棒の倍するほどの長さのある長い棒が置かれていた。それを手に取ると、確かに相棒よりもズシッとした重さが腕に乗る。流石にこれを片手で振り回すのは厳しそうだ。


 それと、俺は今回の探索から必要な場面以外で小声で喋るのは辞めた。喋りたいときは普通に喋る。理由は至って明快だ。


 ストレスが溜まる。


 そのことにようやく俺は気づいた。もちろん、声を抑える必要な場面はある。だが、それ以外はどうだ。十分に警戒できているのであれば自然体でいることの方が重要だった。口に出して喋ることで、音の無い世界に温かみが生まれる。迷宮の不気味さが軽口で吹き飛ぶのだ。


 これは大きな利点だと俺は思う。


「よし、物干し竿くんに決めた。だけど相棒とどう使い分けようか。いや、一先ずイヌ部屋(仮)の扉に触れてみよう。使い方なんて後でもいい」


 相棒を左手に、物干し竿くんを右手に持って扉へと向かう。


「これ、片手を空けるのが面倒だな」


 俺は一旦、物干し竿くんを床に置いてから空いた手で扉に触れた。扉は開かない。それはわかっていたことだ。そして俺は手を離す。


 すると、イヌをデフォルメしたような青い紋様が薄っすらと浮かび上がる。周りの光量が強いと殆ど見えないくらいの薄さだ。確か、以前ネコ部屋の扉を触ったときはもっと色が濃かった気がする。


 頭の中でしっかりと思い出してみると。


「やっぱりこっちの方が薄い気がするな。確かその時の討伐数は……何だっけか。15匹以上はネコモドキを倒していたような」

『16だよ』

「カレン、ありがと。で、今回はイヌモドキが7体。それでこの色の薄さか。濃さを確かめるために、できる限りネズミモドキを倒さないようにネズミ部屋に辿り着ければいいんだけど。まあなるようになるか」


 確認を終えると、俺は小空間の西側に繋がる通路へと移動を開始した。


 ここで考え事をするには遮るものがなさすぎる。物干し竿くんの扱いを含めて色々と落ち着いて考えないとな。


 一先ず、休憩に使える便利なT字路と循環型の通路を探すために、北西方面を目指した。


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